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KAYOKO THOMAS のプロフィール
●Ayurveda&Hatha/SivanandaYoga 500Hの instructor(15年以上のプラクティショナー) ●アーユルヴェーダ ヘルスクッキング料理研究家 ●アーユルヴェーダパンチャカルマセラピスト、アーユルヴェーダクラスの講師(アメリカ/日本) ●数人のアーユルヴェーダドクターの助手を手伝う。 ●全国各地でのリトリート、WSを開催 ●アーユルヴェーダ 病院のエージェント提携 :::::::::::::::: ヨーガを初めて経験したのはNY在住時代1995年〜 その後講師になろうと思ったのはずいぶん後である。 2007年〜 アーユルヴェーダとヨーガを集中的に勉強が始まり カナダのアーユルヴェーダセラピースクール、南インドのアーユルヴェーダ病院で数人のアーユルヴェーダDrとの元で、多数のマッサージセラピー科、パンチャカルマコース、薬学科、診療科、アーユルヴェーダ料理コース、カラリパヤットゥ武術のマルマ施術(フット&ハンド)コース、インドで2010年1月ハタヨーガTTC (200H)や その後 シヴァナンダヨーガTTCや2014年ATTC(500H) を修了、以後 カラリパヤットゥ施術の講師、アーユルヴェーダ講師+スパイス料理&ヨーガ講師として各地でリトリートやWS、クラスを開催、アーユルヴェーダヘルスアドバイザーとアーユルヴェーダ的創作料理のクラスやアーユルヴェーダ施術等、多様な場で活躍。  ホームレメディケアとして、オーガニックハーブ、スパイスを使い自家製のアーユルヴェーダケアを作ったり 日常にもオーガニック野菜とハーブ農園を作り、自家製のスパイス料理とハーブ等を組み合わせて創作料理を楽しんでいる。 2010年以降シヴァナンダヨガ東京センターでヨーガとアーユルヴェーダの講師も教えていた時代もある。  2011年からインドのスワミゴーヴィンダナンダ(シヴァナンダヨーガ)師事するようになり毎年アーシュラムで勉強が続く中、アーユルヴェーダ病院や、アーシュラム、ネパールのパーマカルシャーでの奉仕活動 等々。。。毎年の様にインドへ学びに行く。 様々に共通点を学びながら 特徴有る世界の文化、交流の体験をしている。  その他、PADMIN online shopの運営や 屋久島でヨーガクラス、アーユルヴェーダクラス、リトリートも年に数回開催。 2015年からリトリートが可能な屋久島の宿など屋久島での活動が始まり、また全国各地、海外に至りクラス指導やリトリート活動断続中。 社会貢献のためにインドの孤児院施設へ、収益の一部を寄付を続けております。
Oceanview guest house 屋久島  癒しのリトリート
Veda 古代インドの社会システムって?

❤namaste❤

私も インドに行けば yogaの理論をアシュラムで 学んだりしているのですが、また 愛する 先生達に教えられ、 数年前の頂いた知識をノートに書いては 繰り返し読んだりしておるのである。(サンスクリット語 覚えるのは時間がかかります!焦せらなーい)

その度に 自分の感覚の気づきが違う事に気づく。あーなんて 底なしに深いんだろうと思う事があります。

ヨーガは=veda は文化として捉える広大な教え"ヒンドゥー"に支えられており、その言葉の裏に表されている永遠の法則があります。

それは

_ _

SANA TANA DARMA サナータナーダルマ

という

終わりも始まりも無い

時間や マーヤに限定されず 場所 時代が変わっても TPO 生活環境によって影響されない
周りの影響を全く受けない法則があるそうです。


影響されないで 無知な状態にならず、、、聖者には 目指す事が出来るであろう法則でしょうか。

古代インドの社会システムそのものが ヨーガであった。 >>>(目的はモークシャ=真の自由、悟り、解脱、完全な心の平和)

vedaを学び始めると どんどんと内側からも外側からも知識が湧き出て来ているような感じが あります。

それは

言葉や見えるもの以外の説明しきれない領域の知識だからです。

人間が恐れも不安も無い境地へ導く

"全ての結論を示す
Vedantha の教えは

たくさんの聖典の中にヨーガの哲学も説かれておるわけです。

これらの教えはとてつもなく膨大な智慧で、私はきっと今世では 例えるなら、知識が地球の大きさなら 蟻以下の大きさしか知る事は無いのかもしれないと 思うほどです。

古代人は現代人の数倍長生きして、記憶や頭脳能力 サイキック能力も半端じゃなかったと思います。

例えば リシ 聖者と呼ばれる パタンジャリの聖典ヨーガスートラを 読んだ人は この人宇宙人?とか思っちゃいませんでした?

ヨーガとは何か を説く 聖典。

瞑想の奥義としては

次元も超えちゃってるし、 地球人を救うために降りてきた人?と感じるぐらい 学べば学ぶほど 噛めば噛むほど 味が出る 知識が詰まってます。 再度読む返すと 感覚的に素晴らしい気分にさせてくれますよね。

この様な

リシ達の様なレベルの "見る人"が 直接得るヴイジョンと言うのが六つ(シャット ダルシャナ)あり

物質的な真理を説く

ニャーヤ

ワイシェーシカ

二次元エネルギー論、メンタルで生理学的で心の世界を説く

心のスクリーンのノイズを取り除く作用がある哲学

サーンキィヤ

ヨーガ

スピリチュアルで潜在意識なヴィジョン

プールワミーマンサー

ウッタラミーマンサー 究極の教えのVedantha

(the end of vedaとも呼ばれている)

と言う段階的に ヴィジョンが分かれて

この様な哲学で説かれております。

ヨーガは 一般的に 簡単に「統一」 「合一」という様に意味されていますよね。心と体のバランスを繋ぐ、全ては一つに調和するという事なんですが それだけで無い他の哲学が また混じり合って 各それぞれのVedaは まるで 各器官の細胞の様に 互いに全て繋がってくるわけなんですよね。

だから膨大な智慧がそこに在るんでございます。

上記だけで無い 違うカテゴリーの聖典もどっさりあるので

これらに加え 様々な角度で 繋がって 教えがあると認識した上に

、、、、

古代インドの社会システムって

何でしょう

て事も書き記したかったのです。

ヒンドゥーイズムシステムとでも言いましょうかね。

1、ワルナvarna =色分け、カースト 輪廻転生と関係があるそうです。

今世で原因、結果を生みだしては生まれ変わり繰り返される。

過去で原因を作り現在で結果が現れる。今の行為は未来に結果を残すであろう。

各々の今世を受け入れ、やるべき事を認識の上に自分の義務を果たす。

🔼ブラフマナ 僧侶 医者

クシャトリヤ 王族

ヴァイシャ 商人

🔽シュードラ 農民 家政婦など

ピラミッドの型の様に ブラフマナの数はシュードラよりも少数です。

2, アーシュラマ =人生の段階

ブラフマチャリヤー勉強に集中する時期

ガールハスタヤ 独り立ちする時期

グリハスタ 家庭を持ち 家長として 家族のために働く時期

家族を所有物の様に自分の物として扱わず、個々が自由である。

ヴァーナプラスタ 隠居の時期、社会に貢献する。

サンニャーサ 出家 、神と一体となる時期

3,ダルマ=目的 役割 義務 使命 秩序 様々な意味が複合しています。

この以下の部分が基盤に無いと mokshaと呼ばれる悟りには到達出来ません。

アルタ= 衣食住の安全 や冨を守る

カーマ=真の幸福を願う 潤いのある人生を欲望

ダルマ=社会秩序、義務を果たす

⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇

モクシャ=完全な心の平和、悟り、解脱、真の自由

ここまで 人生最終地点で行ける人は 多分 聖人と呼ばれる人たちの事でしょうね〜。

物質的に豊かでも、心の豊かさを問われます。 物質的に何もなくても 有名でなくても、幸せな満たされた心を持ち 平和に生きていた方が 遥かにモクシャに近ずく事に繋がるでしょう。

究極の幸せになるための社会システム

でした。

今日はここまで

また 復習がてら 書きたいと思います。

私は 隠居の時期に入ってるのかと思う事もしばしば ありますが、ブラフマチャリヤに戻りたいと思っても しょせん、無理なんでしょうね〜〜、、

以前もカルマの話したと思いましたが

思い出した様に 輪廻転生という仏教にも出てくるお話

個々に在る様に見えるものが、実は全て一つに宇宙で構成されていて、個々が役割を担っています。波や一滴の水が大海の一部である様に 本質は私達その宇宙の一部なのです。

宇宙の法則と呼ばれる 整然とした秩序があり、その法則によって起こるべき事は起こるわけです。

行為は結果を生みます。カルマの法則です。

法則に善悪はなく、過去に作った行為は今の自分に結果として戻ってきます。

避ける事は出来ないので、吸収して消化して栄養にするしか有りません。食と体の消化機能と同じですね。質の良い物を食べたら良い栄養になるし、反対の物だと不健康を引き起こす結果となるのと 同じ様に 行為というものが如何に大事か 一瞬一瞬が 行為という食べ物とお付き合いしてる状況です。

好ましい結果もそうで無い結果も 大いものなるものからの恩恵として受け入れ、その経験として活かせる様 前進して行きましょう。

今 この瞬間に 作っているカルマは 意識で飛ばしている事も行為として含まれています。ポジティブかネガティヴか 自己内観も必要ですね。

将来 それが木の実と同じ様に結果の実が現れます。しかし恐れを抱かず 明るい未来を作り出せる様に一瞬一瞬希望を持ちましょう!

良い行い を積み重ねて 今を大事に生きて行きましょうね〜🙏🕉💕宇宙の偉大な力に身を任せる事も大事で、不安や恐れを持たずに生きるという事は、自分が如何に誠実で謙虚に 過ごす事、勇気と困難にも乗り越えて生きる事に等しいと思います。逆に嘘ばかり、ごまかしたり、騙したりする様な不誠実な行為をする人は、マーヤに覆い隠され 毎日が恐れの世界を作り出し、不安や不満の人生に陥ります。結果として言わずとも理解できると思います。

起きた事に無影響な自分で消化できるほど強くありたいですね。障害や困難を乗り越える事も

良い結果を作るための行いを消化したと思えば、気が楽になりますね。

Om shanti shanti shantih

PADMIN インドの病院でリトリート2週間 2019年1月〜募集中






| yoga ヨーガ | 11:18 | comments(0) | - | pookmark |
慈愛

明日は5年目の結婚記念日です。

色んな愛するかたちって それぞれに違って あるわけなんですが

人生のパートナーについては

  まるで自己の鏡に映し出した自分を観させて貰っている 有難い人なんだなぁ。

  だから大切に したいと思う存在です。

 

有難い と 感謝を込める 大事な時間です。今日も明日も 有難うございます。

 

 

 

パートナーと  また沢山の愛を 毎日送ってる愛する人たちへ

 

賢者の言葉を ここに捧げます。

 

 

 

慈愛とは、自分の中の幸福を他者へ与えること。 
ということは、自分がまず幸福でなければならない。 
ここで言う幸福とは、物質や概念による幸福ではない。心の豊かさや広さ、純粋さなどがもたらす本質的な幸福のことだ。 

怒りとは、自分の中の苦しみを他者に押し付けること。 
ということは、怒っている人は苦しみにさいなまれているのだ。 
 
怒りを他者にぶつけることで、一時的には自分の中の苦しみが減ったように感じるかもしれない。 
しかし結果的には、苦しみはより増大することになる。 

本質的な幸福を得た者が、それを他者に与えたとき、一時的にはその幸福が減ったように感じるかもしれない。 
しかし結果的には、幸福はより増大することになる。 

だから、怒っている人を非難してはいけない。 
彼こそは慈悲の手を差し伸べられなければならない、救われるべき人なのだから。 

そして決して怒ってはいけない。 
それは自分の心の弱さと、恐怖と、他者への慈悲のなさから生じるものであり、そして結果的により自己の苦しみを増大させるものだと知ろう。 

そして自分の心を磨き、幸福を相手に与えるようにするんだ。 
最初はそう思うだけでも良い。 
みんなに幸福になってほしいと、思うだけでも良い。 
結果的にはそれが、自己の心を成熟させ、本質的な幸福を増大させ、 
あなたも、あなたの周りの人々をも、幸福にしていくことだろう。 

 

             Sri Shavari

 

 

 

 

| yoga ヨーガ | 13:33 | comments(0) | - | pookmark |
             
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