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KAYOKO THOMAS のプロフィール
●Ayurveda&Hatha/SivanandaYoga 500Hの instructor(15年以上のプラクティショナー) ●アーユルヴェーダ ヘルスクッキング料理研究家 ●アーユルヴェーダパンチャカルマセラピスト、アーユルヴェーダクラスの講師(アメリカ/日本) ●数人のアーユルヴェーダドクターの助手を手伝う。 ●全国各地でのリトリート、WSを開催 ●アーユルヴェーダ 病院のエージェント提携 :::::::::::::::: ヨーガを初めて経験したのはNY在住時代1995年〜 その後講師になろうと思ったのはずいぶん後である。 2007年〜 アーユルヴェーダとヨーガを集中的に勉強が始まり カナダのアーユルヴェーダセラピースクール、南インドのアーユルヴェーダ病院で数人のアーユルヴェーダDrとの元で、多数のマッサージセラピー科、パンチャカルマコース、薬学科、診療科、アーユルヴェーダ料理コース、カラリパヤットゥ武術のマルマ施術(フット&ハンド)コース、インドで2010年1月ハタヨーガTTC (200H)や その後 シヴァナンダヨーガTTCや2014年ATTC(500H) を修了、以後 カラリパヤットゥ施術の講師、アーユルヴェーダ講師+スパイス料理&ヨーガ講師として各地でリトリートやWS、クラスを開催、アーユルヴェーダヘルスアドバイザーとアーユルヴェーダ的創作料理のクラスやアーユルヴェーダ施術等、多様な場で活躍。  ホームレメディケアとして、オーガニックハーブ、スパイスを使い自家製のアーユルヴェーダケアを作ったり 日常にもオーガニック野菜とハーブ農園を作り、自家製のスパイス料理とハーブ等を組み合わせて創作料理を楽しんでいる。 2010年以降シヴァナンダヨガ東京センターでヨーガとアーユルヴェーダの講師も教えていた時代もある。  2011年からインドのスワミゴーヴィンダナンダ(シヴァナンダヨーガ)師事するようになり毎年アーシュラムで勉強が続く中、アーユルヴェーダ病院や、アーシュラム、ネパールのパーマカルシャーでの奉仕活動 等々。。。毎年の様にインドへ学びに行く。 様々に共通点を学びながら 特徴有る世界の文化、交流の体験をしている。  その他、PADMIN online shopの運営や 屋久島でヨーガクラス、アーユルヴェーダクラス、リトリートも年に数回開催。 2015年からリトリートが可能な屋久島の宿など屋久島での活動が始まり、また全国各地、海外に至りクラス指導やリトリート活動断続中。 社会貢献のためにインドの孤児院施設へ、収益の一部を寄付を続けております。
Oceanview guest house 屋久島  癒しのリトリート
Dinner Time
 今日は頑張って家族のために夕食を作りました。

アジアン料理と西洋風にして創作したんですが、やっぱりなんだかインド料理風になってしましました〜。
ライタもあるしターメリックのギーご飯と ダルカレー。(ちなみにダルカレーはTIM さん担当です。)
和風野菜スープにビートルートを使ったココナッツ料理等

VERY Oishiと日本語も英語も混ざった会話、日本語覚えてもらえました。



| アメリカ滞在記 | 13:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
初めてのTRADER JOE'S
今日はお父様のお見舞いの後に、初めてのトレーダー ジョーズ に行きました。3年前からお安いオーガニックスーパー店がアメリカにあると聞いていたので、それがちょうど病院の近くにあって、とても嬉しかったーー。お父様もだいぶ良くなったし、ちょっと息抜きです。
 
日本には上陸していない、このスーパーは オリジナルで沢山のオーガニック食品やコスメ等を造って売っているのだ。アメリカでは各州に一件位有る位のこれから大規模に広がるであろうと私はみている。
なかなかお安くて、質も良いと思います。
ワインはオーガニックじゃなかったけど、なんと$1.99日本円約190円。。。
これってインドより安いと思う!
このフムス、最高に上手いです!!
ベルギーのチョコとオーガニックのTEE TREE OIL
美味しいもので安いのはわくわくしますね〜。
また行きたいと思います。

そしてとても可愛いトレーダージョーズのエコバックを発見!!
さっそく、PADMIN の雑貨に登場しました。ペットボトル再生の生地を使っているので、地球にも優しいバッグです。要チェック

| アメリカ滞在記 | 13:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
突然決めたアメリカ行き パート2
 ヒースローから約6時間でアメリカに到着。
いざ、入国審査へ!
いつも外国人とアメリカ人の列は別々にされていて、独りで入国するという事に、かなり勇気がいる。どんな審査官に当たるんだろうか?どうか優しい人に当たります様に!!
彼に、私のいる審査の出口で待っててね!と一言頼んで、ここで別れた。

審査官へたどり着くまでは、1時間以上は待った。そして、あの男の審査官へ行けと支持され、
パスポートをチェック、私の渡米目的、期間、旅行でインドから戻って来た上になぜ日本に帰らないのか?など.理由を説明したが、10分後程建って、審査官が「とりあえずこちらのプロセスにしたがって、あちらの事務所にいってください。」と赤いタグを渡されて奥の事務者へ案内された。
ガーーン、特別室に連れて行かれたー!とかなりショックでした。
とにかく自分を信じる他はないが、なぜか勝手に心臓はドキドキ音がするのが解る。
でも ヨガをやっているおかげで、すぐさま深呼吸をする事に集中出来た。
心臓の鼓動もだいぶ落ち着いて来た。
周りを見渡すと、本当にたくさんアジア人が待たせれていて、順番を待つだけでも、1時間以上はかかりそうな雰囲気、<きっと彼も心配しているだろう、なんとか彼がこの事務所にたどり着いてくれないだろうかと祈っていた。そうなれば私の真実を信じて貰える可能性が高くなるからもっとストレス度も軽減される。> その願いが叶って 彼の顔が見えたとき、”神様は私を守ってくれている。”とまで叫びたくなる思いがこみ上げてくる。
審査官が彼に外のベンチで待つ様に支持をしていた。
それから45分位は待っただろうか、
気持ちをダークにしないように目の前に座っていた人に声をかけてみた。
台湾から来た子連れの家族、中国系の男性、グリーンカードを持つ台湾の女性(なぜ特別室なのか本人も疑問だった)、インドネシアのお金持ちそうなお嬢さん 等、
様々なアジアの国から私の様に選ばれた方々だし、同じ気持ちで座っている訳だし、なんとなく お互いの気持ちを分かち合って、少しでもストレスを和らげたかった。
台湾から来た台湾人の女性は、グリーンカードを持ってるのに、こちらに廻されたのか腑に落ちない様な感じだった。シアトルの北に住んでいて数ヶ月台湾に戻っていたらしい。
そして後からやって来たとても若い女の子はインドネシアの女の子。上から下までブランドの服を来て、ピンクの派手な携帯で誰かにかけていた。インドネシアの都会の女の子でこんなに派手な格好の子は初めてお見かけする。その子は1ヶ月の旅行で来て、友人の家に滞在する予定だというのに、特別室に案内された事にとても苛立っていた。すでに友人が外で2時間も待ってるのに、この状況になった事に混乱している感じだ。「どんな質問されたの?」と聞くと、彼女曰くだいたい私と同じ。「現地での仕事がお父さんの自営業の仕事を手伝っていると答えたら、赤いタグを渡されたの。」私達は一体何をポイントにして赤いタグをだしてくるのかねー。。。とと色んな点を話し合っていた。
見た目、どこでも仕事が出来る、自由人に近い人は要注意ということではなかろうかと二人で模索していると。。。。
彼女が突然話を変えて
「そういえば、飛行機の中でニュースやってたけど、東京が大地震だってよ。あなたの家族は大丈夫なの?」
「えーーー、東京?信じられない。本当なの?どれ位大きいの?」
「解らないけど、かなり大きくて、沢山の被害者が出ていると聞いたわ。」
私の頭の中が白くなりかけて来た時に、
私の名前を呼ぶ声が聞こえた。私の順番がやっと来ました。
日本の事が心配になっていた頭の中を、今現在解消しなくては行けない問題をクリアしなくてはと、モードを切れ変える様に緊張しながらデスクまで駆け込んだ。
どうどうと真実を伝えて、さっさと入国しよう!という勢いだった。
審査官の質問は最初からまた同じ質問を繰り返す。日本行きのチケットを見せて、下手な英語力でもちゃんと理由を説明したはずなんだが、
審査官は
「2ヶ月もそんなに長くアメリカを滞在する事は旅行の様には見えないし、日本に帰らないで不法滞在するのではないかと観ているが、こちらでヨガの先生かハウスキーパー等でも仕事出来るんじゃないか?前の滞在の時も仕事していたんではないか?」等と勝手な物語を作りたがる。そんなに不法滞在者に仕立て上げたいのか?と疑う程彼らは想像力豊かだった。
そして、若い審査官は、途中で彼の所へ足を運び私との関係、事情を詳しく聞き出していた。
戻って来た彼はまだ私に対して不安感を抱いている事を言い出した。
私も少し感情を込めて言う事にした。
「観光で来ている時は仕事をした事がありません。前の滞在では初めての地で沢山の観光スポットにも行ったし、今度も行ける所は観光したい。ただ今回の目的は、病気で入院した彼のお父さんに会いに来たんだ。体調がとても酷くて急な知らせがあり 私が突然決めた渡米だったし、本当はインド〜日本へ帰るつもりだったんです。一生お父さんに会えなかったら困るし、看病のお世話したいし、後悔したくなかったから こちらに来る事に決めたんす。2ヶ月と言う期間は彼の病状がどうなるか解らないから、期間を長くしておいたんです。彼が良くなれば、早く帰国することも検討しています。これが私の選択です。」
これ以上の理由は思い浮かばなかった。

彼は「君の行ってる事は良く解ったよ」と良いながら私のパスポートにスタンプを押した。
「このスタンプは私はアメリカに入れるってこと?」と聞くと

「そうだよ」

ヤッター!(I did it!)
この状況を乗り越えた嬉しさのあまり彼の所まで駆け足で(スキップもしたかも)特別室を出た。

そういう訳で
インド出国からアメリカ入国まで沢山の時間がかかりました。

独り言に過ぎませんが、
色んな試練を体験したことで今後の生活に何かこれが役に立つ時があるとすれば、
今更ながら 色んな事に覚悟決める時期に来ているんでしょうね。
色々と決めなきゃならない事。それは私の人生の中じゃまだ未経験。
覚悟決めて、勇気を出して、出来る事からやらないとね。

許可をくれたこの審査官にも感謝します。

もし日本に返されたら、成田空港で数泊素泊まりな状態になったかっもしれません。
 そんな大変な状況にならなくて済んだのは、とても幸運だったとしか言いようがないです。

(ちなみに私のNYに住む友人はちょうど天災の後に成田に着き、全ての交通機関がストップし近くのホテルも満室状態になり、空港で缶詰状態になったそうです。でもその方もどんな状況にも乗り越えるパワフルなお方なのです。)



私が初めて天災と発電所事故の詳しいニュースを得たときは
アメリカに入国して直ぐ、飛行機に乗るとアラスカンエアの中でした。
すぐにインターネットのニュースで確かめた。
外国人から聞いていたのは東京の震災だったが、石巻津波被害と東北震災が酷いという情報をキャッチ。
すぐにyoutube で津波の映像を見る事が出来た。本当に信じられない気持ちで何度もリピートしても、やっぱりそこが日本だって事が信じられない。
なんだか私が今何処に居るのかさえも解らなくなってしまう程、頭の中が混乱しているのが解った。空の上で呆然となっている私。
そして次に思い浮かんだのが、私の高校時代の友人が石巻に住んでいる事。彼女のお父さんは漁師だったら、海の近くだと言っていた事を思い出した。
彼女の事ばかりを考えてしまう。

後で携帯に連絡してみようということで、数日後連絡したが、携帯電話も繋がらない、ドコモの住所に送ってもエラーで戻って来てしまうし、彼女と繋がらないのでネット上でも名前を検索してみた。
今でも彼女が無事かどうかが確認出来ていない。

私の友達だから、大丈夫なんだと思うほかないのだとその想いを信じる事にした。


アメリカに入国して直ぐのブログでこんなストーリーになるなんて、
思ってもいなかった。。。。

私の思うままに書いていますが、、、、

この大きな天災で経験した人もしなかった人も地球上の私達は沢山の気付きを得る事が出来ました。
きっと もともと自然と共存していた頃の人間の意識へ戻るための第一歩なのかもしれません。

今の時こそ世界中で沢山の祈りが行なわれ
地球上でスピリチュリティが上昇している中、沢山の希望が日本に向けられていますね。
今は一つの国としての問題ではなく、世界中が一つに繋がっている事を沢山の方が感じているのではないでしょうか?



アーユルベーダで習った宇宙理論では
空、風、火、水、地 
は宇宙の中の一つ 地球上の全ての創造物がこの5大元素から成り立っていると説いています。生き物もそうでない物もこの要素無しには存在しません。みんな 繋がっています。

数千年以上前からヴェーダの知識は 時空を超えた宇宙を解いています。

私達の時代は、大きく目を見開いても地球の中の各個人としてしか観れていませんが、大昔は宇宙感覚で いかに物事の視野がとてつもなく広かったか、計り知りませんね。
振り返れば、人間の精神的能力が進化したどころか、逆に退化して行ったのかもしれません。
でもこの時代は少しずつ、精神性の高い、覚醒した人たちが生まれていることが救いだともいいます。
きっと
日本人は、昔から大和魂と言われるスピリチュアルな言葉が残っているぐらい、精神性の高い民族だと私は信じています。

日本人ガンバレー♥

全ての場所に、全ての人が愛と平和の光の中で満ちあふれ、繋がり、平穏な世界を創る事が出来ます様に。

皆で祈りましょう。

OM SHANTI













 






| アメリカ滞在記 | 03:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
突然決めたアメリカ行き パート1
 この春、初めての北インド ヒマラヤ、ネパール廻りをしようと思って、アシュラムから北方面行きの電車に乗り、彼と電車で待ち合わせするつもりだった。
ヨガのプログラムも終わり、出発の準備をしている最中にケララに居る彼から電話があり、彼のお父様の突然の入院の知らせで、アメリカへ帰る事になった。92歳の老人が転んで、その後呼吸も上手く出来ない状態になっている状況を聞くと、私も 会えるタイミングを逃したくない!彼のお父さんに会わないと行けないという気持ちがとても強くなった。
さっそくインターネットで彼と同じフライトを予約し、決断して6時間後にはアメリカに行く準備が整った。
そして、カヌール市の彼の元へ戻り、荷物整理をして2日後にインドを出発。

渡米前に心配だったのはアメリカ入国審査。
前回の渡米から、まだ日本に帰国していなかったし、入国審査官はとても想像力が豊かだ。
5月に日本に帰国する予定でいたのが、6月まで、しかも再度の渡米後に帰国という予定変更になった。

まずインドの国際空港バンガローでも変な事に出国審査で足止めを食らった。インド人の出国審査官は直ぐ情報を忘れるのか、国際的な知識がないのか、マネージャー的な人でさえ観光に入るためのアメリカのESTA(America System for Travel Authorization)を理解していなかったで、私を30分近く待たせた。『私がなぜ5ヶ月間も長くインドに居て、なぜアメリカに行くのか?パスポートにアメリカの観光ヴィザスタンプが無いじゃないか』等  色々聞くので、きちんと説明した。『今の時代 インターネットでヴィザの承認が貰えるのはご存じないのですか?私はこの承認されたコピー(日本語盤)を持っているので、もし確認したいなら、ネットでID 番号、パスポート番号から検索すれば米から承認が出ている事が解るから、直ぐ調べてください」と何度も同じ事を説明していたのですが、パソコンの方へ移動してくれないし、時間が過ぎて行く事にちょっと苛立を覚えた、、、
出国するのに止められるのは、この人生で初めての事である。
カナダの出国ゲートは素通りの様な状態(出国スタンプが無い程、去る者追わず的なお国柄)を思い出すと、なんだっ!この国はテロリストが多い国だから?なのだろうか。。。?

飛行機に乗れるだろうか?彼は審査官の裏側で待っているし、、、等色んな心配が頭をよぎる。

どの国の審査官も共通して言える事は、”目つき、見下げた様な話し方、そして義務だと言ってしつこい程プライベート的な質問を次々と聞いてきて、挙句の果てには人の話をなかなか信じようとしない。”  に尽きると思います。

私がつくりあげたこの様な信念がこの状況を創りだしている事も
自分の中で解ってはいるのだが、かなりショックで濃厚な思い出がへばりついています。
この信念、なんとかしないとねー。

私はよっぽど怪しくみえるんだろうか。
私だけではないと思うが、先進国の入国審査ではあんまり良い経験がない私。
ちなみに発展途上国ではスムーズに待ち時間も無く、質問の回答も問題なくクリアして、時間もかからず入国出来るのでお国柄の違いをとても感じます。

アメリカイミグレーションでは是非とも次ぐらいは良い印象で通りたいと願います。。。

さてさて、バンガロー空港の話に戻りますが、
やっと4人目の若くて、愛想が良くて頭の切れそうな人が、私の話を聞いてくれた。この人なら速そうという感が当たったようだ。
直ぐにパソコンでチェックして私のパスポート番号とIDナンバーで、観光ビザの承認が完了している事を確認してくれた。彼いわく、「英語でないと確実に認証ができないから、証明にならないよ」と言われた。「でもこれは正真証明のESTA サイトからの証明です!!」とこちらも主張した。こういう時はナイスに強気に対応してしまう私。
最後には、あちらが謝って来たので、もう終わった事として、直ちに出国した。

私もうっかりして日本語盤の承認コピーを用意していたから、今度のときは必ず英語のコピーを持つべきだと勉強になったよ。

出国のインドでこれだったら、アメリカでどうなる事やら、、、やれやれ、、、と不安がよぎるたびに、私は大丈夫、ラッキーだから!と信じて 不安の☁を吹き飛ばします。

そしてブリティッシュエアーでイギリス経由シアトル行きに乗った。
ところで
イギリスに立ち寄るなんて22年ぶりである。ヒースローもすごくモダンでWiFi もFreeで使える。そういえばヴァンクーバーもシアトルも   どこでもFree だった。
バンコクとインドは有料でした。発展途上国はまだまだサービスが行き届いておりません。
成田、関空はどうでしたっけ?忘れましたが、先進国は空港ぐらい Free にすべきだと思います。
ヒースローでコーヒーを飲みました。さすが
| アメリカ滞在記 | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
インドのシバナンダハタヨガインテンシブの旅へ
 TTC から約一年ぶりに、シバナンダハタヨガインテンシブコースへ参加する事に決めた。
そこはマハラシュトラ州、アンボリと言う村。
カリスマ教師と言われた程人気のあったグルがスワミになり、小さなアシュラムで スワミゴビンダナンダはシバナンダヨガコースを色々と開催している。
この情報を半年前から伺っていて、ずーっと行こうかどうか検討していた。
ちょうどタイミング良く予定が空いたのをきっかけに、この場所に導かれた。


インドでは去年の10月から色んな事して忙しかったので、このところ とても疲れていた。
仕事でどうしてもコンピューターを使い、情報だらけの世界にどっぷりだったし、日本にいれば、これが普通だったりするんだが、ましてやここインドで生活すると、ここは全てがスローライフに見える。 日本の様に事が思う様に上手く進まないし、そんな事も慣れて来たと言ったって、やっぱり私は日本人。(しかし日本人とかインド人とかそんな枠は外したいとは思う)  まー、いつもため息をたくさん付いて、リラックスする事に努めているが、、、何か物足りなさを感じていた時、、、”やっぱり何もかもこの執着から離れたい”と思ったタイミングに、このハタヨガインテンシブの情報を頂き、私にうってつけではなかろうかと感じた。私のTTCメートも行くと決めていたし、なんだろう、英語のコースなのに、安心感がある。しばらく日本語喋ってなかったし、日本語も喋りたーいなんて思っている私がいる。(笑)
とにかくその2週間後にケララから北へマハラシュトラ州のアンボリへ電車で向かいました。
初めてのアンボリ、とてもスピリチュアルな山だと伺っていました。山ならばプラナヤマ、ムドラで心も体も浄化させるためには、とても効果があるだろうと、とても楽しみにしていた。

夜の遅い時間について、日本人のスタッフが歓迎してくれました。手続きが済み、コテージの方へ案内してもらい、とても綺麗で素敵な宿で、ビックリしました。リゾートまではいかないが、インドでは素敵な宿と言っても良いと思います。
翌朝、起きたら頭痛が酷くて、朝のサットサンにいけませんでした。
遅れて行くと、初めてスワミゴビンダナンダともお会いして、緊張がほぐれる程癒されるお方でした。
他の方も頭痛があるらしく、よく考えたら山の頂上で酸素が薄いのか〜と判明。。。
3日目も頭痛が続いたが、なんとか授業を受けた。
何か心の抵抗が影響しているのだろうかと、自分の意識に集中しながらアサナに集中して行くと、少しずつ痛みも和らいで来た。
精神的な緊張も含まれているんだろーな、、、きっと、、、

そんな中子供達の笑顔は癒してくれます。
キッチンで働く人たちの家族も滞在していて、子供達もとてもキューーート
生徒さん達も色んな所から来ていました。イギリス、イスラエル、オーストラリア、トルコ、日本、アメリカ、インド。。。。18名程のこじんまりとしたグループで、しかも皆個性的で素敵な方達ばかり。

朝のティータイムは一日の中で比較的生徒サン達と話が出来て、和みの時間。
ちなみに毎日のダイエットは朝はアーモンドミルクと蜂蜜。食事は塩もスパイスもニンニク生姜も使わない、味気ないインド料理です。でも食べて行くうちに味覚が繊細になり、各素材の自然の味と言う物がどんなに上手いかが解ってきます。
毎日のプログラムは毎朝4時頃には起きていて、シャワーとクリヤでクリーニングし瞑想に入ります。
そしてサットサンが終わる頃に朝日が昇りその美しさは格別です。この素晴らしい風景を眺めながら温かいアーモンドミルク飲むと、、、最高な気分ですよ。


休憩の時間は一日の内に1時間、といってもその間に予習勉強やビジャマントラ、写経等を
お部屋で自主的にします。

ところで、宿泊のコテージの中はこじんまりしていますが、清潔で、トイレ、シャワールームも広めに創られています。
私のルームメート、インドに深く馴染んでいるマハデビさん曰く
30年前にインドに10年間以上住んでいたらしく、その頃のインドの話を聞くと今の経済成長のインドに比べ、大都市デリーでさえもっともっと素朴で車よりも牛が多く道路を歩いていて、とても小さな町だったそうです。昔のインドの経験話は聞いていてとても楽しいです。彼女のアドベンチャーな体験話は素敵でした。

k
コース中は4回のプージャを行います。皆でプージャの準備、この日、私は生理でお手伝いが出来ませんでした。生理の日は儀式にも参加出来ません。曼荼羅に飾る花びらを仲良くおしゃべりしながら、掻集めています。
2週目にもなると毎日祈り、プラナヤマ、サンサルテーション、アサナ、リラクゼーション、バンダ、ムドラ練習 等を一日3回も自主練習します。しかもプログラムの量が日々増えて行くので、時間が押し迫る状況。集中力を使い果たし、夜はヘトヘトになります。
濃厚な練習中は、自分の観察により、心のネガティブ除去、整理を交互にしかも自動的にしている自分に気付くときがあります。


10日目にはいると、生理になりまして、、、

スワミにアドバンスの練習を制限する様に言われました。全てを練習出来ないのは、とてもショックなんですが、それも受け入れる様 気持ちの上で努力し、練習をかなり控えました。
スワミから頂いたメニューで行い、休憩時間でいつも声をかけて頂き、私がどんな状態かを確認してくれます。本当に優しいお方です。昔からカリスマのグルだったと言う話が会ってみて、とても解ります。
終盤に入ると、体が軽くなってる感じがします。これぞ浄化されてる証ですね。
食事、生活スタイルも徹底しているので、浄化されるのも速いのでしょう。
祈りも沢山するので、精神性も高まります。
最後まで全てのムドラ等を行う事が出来ませんでしたが、基本を学び、また次のインテンシブコースに挑もうと言う気持ちが強くなりました。これも生理のおかげです。私にはもう一度このコースにいく様に導かれているのだと、すでに受け入れています。

最後に豪勢なスパイス入りのインド料理をごちそうになり幸せ気分です。
久しぶりに普通のインド料理を食べてみて、
とても塩分を強く感じます。(普通の味だと思うのですが)味覚がとても敏感になっているのがわかります。
いかに、今まで塩分を取りすぎていたのかがよーく解り、これから塩分控えめを心がける様にしていこうと思いました。

アンボリの山ですっかり浄化されました。スピリチュアルトレーニングの機会に感謝です。
ありがと!



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| yoga ヨーガ | 03:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
             
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