CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
Padmin story
泥、汚れた水の中からしっかりと根をおろしながら、美しく清らかな花が咲く蓮。蓮根は泥の中から出て来るのに、まったく汚れに染まっていません。葉も茎も泥はついていません。 蓮根、種子からも繁殖する力、生命力の強いエネルギーを持ち、葉が水を弾くことをロータス効果とも言いますが、つまり とらわれることが無いという事です。 泥水を迷いの世界、私達の日常社会の喩え、その中に心理を悟られ、正しい生き方を人々に伝えたお釈迦様を蓮の花に喩えています。 この意味は、今 自分の居る世界、立場から逃げ出して別の所に理想を求めるのではなく、今居る世界で精一杯輝く人間になる事を教えている様ですね。 『世界蓮』のお話ですが、インド最高神のひとりヴィシュヌは原初の水の中で大蛇を寝台として眠っていたそうです。四千ユガ宇宙世紀の眠りの後、彼は創造の志を起こしました。その意欲は蓮の型(世界蓮=カーロ.パドマ)をとって彼の臍から成長し、花が開花すると、そこにブラフマー(梵天=ぼんてん)が生じ花の台(うてな)に座して天地万物を造化しました。 蓮は生命発生の母胎と観られ、その観念はヒンドゥ教に反映されています。 古代インド ヒンドゥ教の神話では 『聖なる義務を成し遂げる者は罪に迷わない。あたかも蓮の葉に水が触れぬかごとく』 『泥沼から生え、気高く咲く花、まっすぐ大きく広がり水を弾くリンとした葉の姿』 世の欲にまみれず清らかに生きる事の象徴の様に、極楽浄土の象徴とされています。 インドラの楽園はサンスクリット語でnandana (ナンダナ)といって、歓喜極まる最高の喜びのステージをananda(アーナンダ)と表現します。 仏教『阿弥陀経』の中で浄土の様子でこう述べられています。 妙なる音楽、美しい鳥が飛び、天からは花びらが舞い、池には蓮が咲き誇っています。 その蓮の様子を『青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光』と記されています。 浄土の世界では青い蓮は青いままに輝き、黄色い蓮は黄色のままに輝き............. 違うままにそれぞれが美しく輝いています。 その輝きにおいて等しく尊いのです。人間はそれぞれ違います。外見も能力も...しかし同じ人間としての差は無く、等しく尊い存在です。 違ったままで相手を認めるとはどういう事でしょうか? 我々人間は完全無欠の人はいません。そもそも出来る事と出来ない事があるのが人間のありようで、出来る得意な能力や、個性を発揮する事こそ、命を活用するという事です。 『生きる』ことを通して、出来ない事を補い出来る事によって欠けている能力を満たしてくれるのが、縁の絆に支えられている人間のあるべき姿ではないかと思います。 『みんな違ってみんないい』 それぞれの個性が光り、お互いに輝いて生きて行ける事は素晴らしいですね★                                                    どちらかをクリック↓↓ 宜しくお願いします〜♥ にほんブログ村 美容ブログ アーユルヴェーダへ
にほんブログ村 にほんブログ村 健康ブログ ヨガへ
にほんブログ村                                                 
ブログ王の投票リンクです〜。 クリック!宜しくお願いします!↓↓ 
ランキングはこちらをクリック!


総合サイトにもショップ登録しました〜!!
  Shop-Bell   ヨガ用品・ヨガウェア

エスニック系人気ランキング

エスニック系
かわいい下着人気ランキング

かわいい下着
美容・健康   Shop-Bell  
<< 種を蒔いて10日位の経過 | main | ananda からプレゼント情報 >>
合気道の師の言葉
ナマステ〜

今日も楽しい毎日をお過ごしています。

インドで以前学んで来たカラリパヤットゥから、最近は少し離れた生活であるが、
常に心は神聖なヴェーダを思い、学び続けている私にとって、ヨーガもアーユルヴェーダもカラリパヤットゥも全て共通している物が沢山ある中、今まで ある一つの言いたい事も言葉としてそれを表現するのが、未熟な私には難しかったのです。


しかし
ある友人、そして私の尊敬する方からの投稿から廻って来て、これは私の伝えたかった事が全て凝縮されている!と思ったのです。
それは合気道の開祖と言われる師の言葉だった。
合気道もムエタイも少林寺拳法等も元をたどれば、南インドの武道カラリパヤットゥが発祥と言われています。

合気道の師の熱い言葉、
この場を借りて、シェアさせて頂きたいと思います。
皆様に感謝です。




「合気道開祖 植芝盛平」


合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。

世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。


合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。


合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。


私はこの事を武を通じて悟った。


敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。


即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。合気道は無抵抗主義である。


無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。


邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。


では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?


それにはまず、神の心を己の心とする事だ。


それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。


『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。


これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。


だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。


真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。


即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。


勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。


与えられた自己の使命を成し遂げる事である。

 



この説法が私をなぜすごく納得させるのか、反応させるのか、、、

それは昔、私が離婚前を乗り越えた時期の 私の心情そのものだったからである。 
したくない選択をしなくてはならない状況の中 私の真実が、その言葉とそっくり同じだったからである。





| カラリパヤットゥ | 07:39 | comments(0) | - | pookmark |
コメント
コメントする