ヒースローから約6時間でアメリカに到着。
いざ、入国審査へ!
いつも外国人とアメリカ人の列は別々にされていて、独りで入国するという事に、かなり勇気がいる。どんな審査官に当たるんだろうか?どうか優しい人に当たります様に!!
彼に、私のいる審査の出口で待っててね!と一言頼んで、ここで別れた。
審査官へたどり着くまでは、1時間以上は待った。そして、あの男の審査官へ行けと支持され、
パスポートをチェック、私の渡米目的、期間、旅行でインドから戻って来た上になぜ日本に帰らないのか?など.理由を説明したが、10分後程建って、審査官が「とりあえずこちらのプロセスにしたがって、あちらの事務所にいってください。」と赤いタグを渡されて奥の事務者へ案内された。
ガーーン、特別室に連れて行かれたー!とかなりショックでした。
とにかく自分を信じる他はないが、なぜか勝手に心臓はドキドキ音がするのが解る。
でも ヨガをやっているおかげで、すぐさま深呼吸をする事に集中出来た。
心臓の鼓動もだいぶ落ち着いて来た。
周りを見渡すと、本当にたくさんアジア人が待たせれていて、順番を待つだけでも、1時間以上はかかりそうな雰囲気、<きっと彼も心配しているだろう、なんとか彼がこの事務所にたどり着いてくれないだろうかと祈っていた。そうなれば私の真実を信じて貰える可能性が高くなるからもっとストレス度も軽減される。> その願いが叶って 彼の顔が見えたとき、”神様は私を守ってくれている。”とまで叫びたくなる思いがこみ上げてくる。
審査官が彼に外のベンチで待つ様に支持をしていた。
それから45分位は待っただろうか、
気持ちをダークにしないように目の前に座っていた人に声をかけてみた。
台湾から来た子連れの家族、中国系の男性、グリーンカードを持つ台湾の女性(なぜ特別室なのか本人も疑問だった)、インドネシアのお金持ちそうなお嬢さん 等、
様々なアジアの国から私の様に選ばれた方々だし、同じ気持ちで座っている訳だし、なんとなく お互いの気持ちを分かち合って、少しでもストレスを和らげたかった。
台湾から来た台湾人の女性は、グリーンカードを持ってるのに、こちらに廻されたのか腑に落ちない様な感じだった。シアトルの北に住んでいて数ヶ月台湾に戻っていたらしい。
そして後からやって来たとても若い女の子はインドネシアの女の子。上から下までブランドの服を来て、ピンクの派手な携帯で誰かにかけていた。インドネシアの都会の女の子でこんなに派手な格好の子は初めてお見かけする。その子は1ヶ月の旅行で来て、友人の家に滞在する予定だというのに、特別室に案内された事にとても苛立っていた。すでに友人が外で2時間も待ってるのに、この状況になった事に混乱している感じだ。「どんな質問されたの?」と聞くと、彼女曰くだいたい私と同じ。「現地での仕事がお父さんの自営業の仕事を手伝っていると答えたら、赤いタグを渡されたの。」私達は一体何をポイントにして赤いタグをだしてくるのかねー。。。とと色んな点を話し合っていた。
見た目、どこでも仕事が出来る、自由人に近い人は要注意ということではなかろうかと二人で模索していると。。。。
彼女が突然話を変えて
「そういえば、飛行機の中でニュースやってたけど、東京が大地震だってよ。あなたの家族は大丈夫なの?」
「えーーー、東京?信じられない。本当なの?どれ位大きいの?」
「解らないけど、かなり大きくて、沢山の被害者が出ていると聞いたわ。」
私の頭の中が白くなりかけて来た時に、
私の名前を呼ぶ声が聞こえた。私の順番がやっと来ました。
日本の事が心配になっていた頭の中を、今現在解消しなくては行けない問題をクリアしなくてはと、モードを切れ変える様に緊張しながらデスクまで駆け込んだ。
どうどうと真実を伝えて、さっさと入国しよう!という勢いだった。
審査官の質問は最初からまた同じ質問を繰り返す。日本行きのチケットを見せて、下手な英語力でもちゃんと理由を説明したはずなんだが、
審査官は
「2ヶ月もそんなに長くアメリカを滞在する事は旅行の様には見えないし、日本に帰らないで不法滞在するのではないかと観ているが、こちらでヨガの先生かハウスキーパー等でも仕事出来るんじゃないか?前の滞在の時も仕事していたんではないか?」等と勝手な物語を作りたがる。そんなに不法滞在者に仕立て上げたいのか?と疑う程彼らは想像力豊かだった。
そして、若い審査官は、途中で彼の所へ足を運び私との関係、事情を詳しく聞き出していた。
戻って来た彼はまだ私に対して不安感を抱いている事を言い出した。
私も少し感情を込めて言う事にした。
「観光で来ている時は仕事をした事がありません。前の滞在では初めての地で沢山の観光スポットにも行ったし、今度も行ける所は観光したい。ただ今回の目的は、病気で入院した彼のお父さんに会いに来たんだ。体調がとても酷くて急な知らせがあり 私が突然決めた渡米だったし、本当はインド〜日本へ帰るつもりだったんです。一生お父さんに会えなかったら困るし、看病のお世話したいし、後悔したくなかったから こちらに来る事に決めたんす。2ヶ月と言う期間は彼の病状がどうなるか解らないから、期間を長くしておいたんです。彼が良くなれば、早く帰国することも検討しています。これが私の選択です。」
これ以上の理由は思い浮かばなかった。
彼は「君の行ってる事は良く解ったよ」と良いながら私のパスポートにスタンプを押した。
「このスタンプは私はアメリカに入れるってこと?」と聞くと
「そうだよ」
ヤッター!(I did it!)
この状況を乗り越えた嬉しさのあまり彼の所まで駆け足で(スキップもしたかも)特別室を出た。
そういう訳で
インド出国からアメリカ入国まで沢山の時間がかかりました。
独り言に過ぎませんが、
色んな試練を体験したことで今後の生活に何かこれが役に立つ時があるとすれば、
今更ながら 色んな事に覚悟決める時期に来ているんでしょうね。
色々と決めなきゃならない事。それは私の人生の中じゃまだ未経験。
覚悟決めて、勇気を出して、出来る事からやらないとね。
許可をくれたこの審査官にも感謝します。
もし日本に返されたら、成田空港で数泊素泊まりな状態になったかっもしれません。
そんな大変な状況にならなくて済んだのは、とても幸運だったとしか言いようがないです。
(ちなみに私のNYに住む友人はちょうど天災の後に成田に着き、全ての交通機関がストップし近くのホテルも満室状態になり、空港で缶詰状態になったそうです。でもその方もどんな状況にも乗り越えるパワフルなお方なのです。)
私が初めて天災と発電所事故の詳しいニュースを得たときは
アメリカに入国して直ぐ、飛行機に乗るとアラスカンエアの中でした。
すぐにインターネットのニュースで確かめた。
外国人から聞いていたのは東京の震災だったが、石巻津波被害と東北震災が酷いという情報をキャッチ。
すぐにyoutube で津波の映像を見る事が出来た。本当に信じられない気持ちで何度もリピートしても、やっぱりそこが日本だって事が信じられない。
なんだか私が今何処に居るのかさえも解らなくなってしまう程、頭の中が混乱しているのが解った。空の上で呆然となっている私。
そして次に思い浮かんだのが、私の高校時代の友人が石巻に住んでいる事。彼女のお父さんは漁師だったら、海の近くだと言っていた事を思い出した。
彼女の事ばかりを考えてしまう。
後で携帯に連絡してみようということで、数日後連絡したが、携帯電話も繋がらない、ドコモの住所に送ってもエラーで戻って来てしまうし、彼女と繋がらないのでネット上でも名前を検索してみた。
今でも彼女が無事かどうかが確認出来ていない。
私の友達だから、大丈夫なんだと思うほかないのだとその想いを信じる事にした。
アメリカに入国して直ぐのブログでこんなストーリーになるなんて、
思ってもいなかった。。。。
私の思うままに書いていますが、、、、
この大きな天災で経験した人もしなかった人も地球上の私達は沢山の気付きを得る事が出来ました。
きっと もともと自然と共存していた頃の人間の意識へ戻るための第一歩なのかもしれません。
今の時こそ世界中で沢山の祈りが行なわれ
地球上でスピリチュリティが上昇している中、沢山の希望が日本に向けられていますね。
今は一つの国としての問題ではなく、世界中が一つに繋がっている事を沢山の方が感じているのではないでしょうか?
アーユルベーダで習った宇宙理論では
空、風、火、水、地
は宇宙の中の一つ 地球上の全ての創造物がこの5大元素から成り立っていると説いています。生き物もそうでない物もこの要素無しには存在しません。みんな 繋がっています。
数千年以上前からヴェーダの知識は 時空を超えた宇宙を解いています。
私達の時代は、大きく目を見開いても地球の中の各個人としてしか観れていませんが、大昔は宇宙感覚で いかに物事の視野がとてつもなく広かったか、計り知りませんね。
振り返れば、人間の精神的能力が進化したどころか、逆に退化して行ったのかもしれません。
でもこの時代は少しずつ、精神性の高い、覚醒した人たちが生まれていることが救いだともいいます。
きっと
日本人は、昔から大和魂と言われるスピリチュアルな言葉が残っているぐらい、精神性の高い民族だと私は信じています。
日本人ガンバレー♥
全ての場所に、全ての人が愛と平和の光の中で満ちあふれ、繋がり、平穏な世界を創る事が出来ます様に。
皆で祈りましょう。
OM SHANTI