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KAYOKO THOMAS のプロフィール
●Ayurveda&Hatha/SivanandaYoga 500Hの instructor(15年以上のプラクティショナー) ●アーユルヴェーダ ヘルスクッキング料理研究家 ●アーユルヴェーダパンチャカルマセラピスト、アーユルヴェーダクラスの講師(アメリカ/日本) ●数人のアーユルヴェーダドクターの助手を手伝う。 ●全国各地でのリトリート、WSを開催 ●アーユルヴェーダ 病院のエージェント提携 :::::::::::::::: ヨーガを初めて経験したのはNY在住時代1995年〜 その後講師になろうと思ったのはずいぶん後である。 2007年〜 アーユルヴェーダとヨーガを集中的に勉強が始まり カナダのアーユルヴェーダセラピースクール、南インドのアーユルヴェーダ病院で数人のアーユルヴェーダDrとの元で、多数のマッサージセラピー科、パンチャカルマコース、薬学科、診療科、アーユルヴェーダ料理コース、カラリパヤットゥ武術のマルマ施術(フット&ハンド)コース、インドで2010年1月ハタヨーガTTC (200H)や その後 シヴァナンダヨーガTTCや2014年ATTC(500H) を修了、以後 カラリパヤットゥ施術の講師、アーユルヴェーダ講師+スパイス料理&ヨーガ講師として各地でリトリートやWS、クラスを開催、アーユルヴェーダヘルスアドバイザーとアーユルヴェーダ的創作料理のクラスやアーユルヴェーダ施術等、多様な場で活躍。  ホームレメディケアとして、オーガニックハーブ、スパイスを使い自家製のアーユルヴェーダケアを作ったり 日常にもオーガニック野菜とハーブ農園を作り、自家製のスパイス料理とハーブ等を組み合わせて創作料理を楽しんでいる。 2010年以降シヴァナンダヨガ東京センターでヨーガとアーユルヴェーダの講師も教えていた時代もある。  2011年からインドのスワミゴーヴィンダナンダ(シヴァナンダヨーガ)師事するようになり毎年アーシュラムで勉強が続く中、アーユルヴェーダ病院や、アーシュラム、ネパールのパーマカルシャーでの奉仕活動 等々。。。毎年の様にインドへ学びに行く。 様々に共通点を学びながら 特徴有る世界の文化、交流の体験をしている。  その他、PADMIN online shopの運営や 屋久島でヨーガクラス、アーユルヴェーダクラス、リトリートも年に数回開催。 2015年からリトリートが可能な屋久島の宿など屋久島での活動が始まり、また全国各地、海外に至りクラス指導やリトリート活動断続中。 社会貢献のためにインドの孤児院施設へ、収益の一部を寄付を続けております。
Oceanview guest house 屋久島  癒しのリトリート
本当の学びとは永遠の魂に光を当てる

学びとは 覚えるのではなく 

蓄えた知性を使って 繰り返す実践と体験を得て 心や体に知識を馴染ませ 気づきや確信を得て 心身と魂が磨かれて行くものである。

というような 私の解釈ですが


ダライ・ラマ14世が来日された時に 講演で以下の様におっしゃっていたそうで

どうぞ 翻訳をお読みください。

私もその学びの途中の身である体験から

とても納得した言葉なので

皆様にシェアさせていただきます。


https://www.chikushi-u.ac.jp/news/archives/286


私の先生も常に加えて説明されます。

師から学ぶとは

教えるための目的に学びに行く事では無く

自らの知性を使って完全な理解へ近づくための努力を基に、まず自身が体験した気づきとなって確信を得る学びをしてください。


その様な学び姿勢や心得の意識へ向けさせてもらえます。



最初にに記した

覚える事と

学ぶ事の理解とは

全く意味が違います。


理解できる努力ができる程

自身が その主題に没頭できる程本当に興味を持って続けられるかどうか

まず内観する必要があります。



体験をする事は 自分と他との関わりもあります。 無条件の愛や 思いやりが加わると

素晴らしい結果が生まれます。

それが欠けると 期待通りにはなりません。

因果の法則です。


肩書きや資格のみに重きを置いてると

深い知識を学ぶ事は きっと続かないでしょう。


学びは常に心を開いて ニュートラルな気持ちで、心の浄化も

興味を広げて行くことも必要です。

主題に関わり合う他の分野にも伸ばして

視点を広げて違う角度で検証する事も

自身の成長を助けてくれるでしょう。


綺麗で真っ白な布に染色すれば綺麗に染まる

汚れた布に染めても綺麗に染まりません。


この様な自然の原理から

シンプルに何を言わんとするか

が理解できます。



学ぶとは 

自身に心がける事

目指す目的や

資質を増やす事についても心の内で再確認させる必要もあります。 そうする事で

自分軸はぶれません。


何事にも 基本的な 学びの姿勢について

本当に大事ですね。


ヨーガの教えにも同じ説明があり

先生から教わった

1 聴く

2 熟考する

3 知識と私が一つになる

段階を得て 心を清めながら 

前進したいと思います。






| yoga ヨーガ | 12:03 | comments(0) | - | pookmark |
私が学んで感じた アーユルヴェーダとヨーガの関係性

こんにちは Kayoko Thomasです。

 

久々のブログです。

コロナ情勢が長々と続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?

いい加減に この状況疲れて来ましたよね。

でももう少しの辛抱です。

逆にこの苦しい時期を乗り越える時こそ、試されていると思って

いろいろな新しいチャレンジも始まったという方も中にはいらっしゃいます。 新しい自分を発見したという事もありますよね。

コロナ様も神様と思えば気が楽になります。神様のおかげで こんなに良い事が起こったっていう結果にしていきましょう。

 

この数年を世界の動きを眺めていると

 

 アーユルヴェーダとヨーガが 密接な関係であり、それらを学びたいと思われる方が世界中に増えてきましたね。

特にヨーガインストラクターはアーユルヴェーダの分野に特に興味を持つと思われます。

 

私は 95年ごろからNEW YORKでヨーガというものを知り 07年に初めてカナダでアーユルヴェーダの存在をインド人のドクターから知りました。

 

そのころは 日本ではヨーガの哲学を勉強する人も少なかったと思いますが、講師でさえアーユルヴェーダの事を知る人はいませんでしたよ。

現在はインターネット情報のスピードの高さは凄いですよねー。今じゃラジオやテレビでも随分と取り上げられてますものね。

 

 

以下の内容は 専門的な話になるので、興味のない方はスルーしてください。

 

 

伝統的な内容について 深く学ぶ道へ進みたい方々へ

是非とも一緒に感じて 知っておいてほしい事を述べようと思う。

 

 

インドの伝統分野の学問を重んじて、これらを学ぶことが どれぐらい深く、どの様な背景においてこれらが存在しているのだろうか? とまだ、現地インドへ行ったことのない方や学び始めたばかりの頃は 未知の世界と思うかもしれません。

 

 例えば、伝統職人技は20年間の様なゆっくり時間をかけて技を磨く気が遠くなる仕事だ。絶えず師匠の側で繰り返し何度も基本を学ぶ。ヨーガとアーユルヴェーダの学びは、まるで伝統職人の道筋と似ている様だ。(果てし無い智慧)

 

 これらの叡知は、5000年以上も前 古代インドの智慧が発祥であると言われている。(残念な事に、日本古代文化や学問の多くの智慧は伝授されておらず)アジア全土の中でもインド伝統文化が最古として、献身的な祈りや自然の科学に影響する学問と言われており、のちの仏教の教えや様々な伝統武道も その例として挙げらる。

 

インドの古代の智慧とする様々なヴェーダの文献(サンヒター)から現代に至り教えが今も尚 語り継がれているのは、大変素晴らしい事である。  

 

 アーユルヴェーダとヨーガの知識も 

広い意味で、自然と人間の哲学、生理学、心理学、病理学、霊的体系、ライフスタイル、古代占星術、伝統武道、芸術 音楽、 建築、方位学 等と言った 幅広い分野と繋がり全てが包括しており

 

それらの目的は共通して 人間が、社会全体を含む 心と体と霊性の調和 健康で幸福になることである。

 

人間にとって大切な実践的および、科学的な知識が 多様に網羅されている文献(書物)がある。

 

 アユールとは、生命

 ヴェーダとは、インド最古の文献であり、智慧 真理 知識(=科学)という広い意味がある。

 

古代の教えのエッセンスを知ること=自然(宇宙)の知識(科学)を深く感じとる事、それは

自然と一体感を味わえた時、人間は幸福を見つけるための大きなヒントを得る事ができる。

 

これらの学びを取り組んでみて、心の抑制ができる様になった、人生が良い方向に向かっている、人間関係が良くなった等

私も含めて、その様な方々が周りに増えてきているという事も 社会貢献の一つではと思う。

 

 

ヴェーダの広い分野の中でも 例として

現在でも南インド(ケララ州とタミルナドゥ州)で継承されるカラリパヤットゥという伝統武道とその施術が存在する。

それは、ドラビタが起源とされシッダー伝統医療に深く基づいておりアーユルヴェーダ、ヴェーダ(聖典)の中の一つ、ダンヌールヴェーダと統合されている。 

 

古代のインド武道は元々は、戦士の心身を鍛え怪我を癒すための施術であったが、 後にアーユルヴェーダ医師の指示の元、アーユルヴェーダの施術へと変換し、パンチャカルマ(5つの療法)の中の一部である発汗作用を促し毒素を排出させる方法(アビヤンガ等)として、様々なアプローチで用いられる様になる。

故に、基本のアーユルヴェーダで用いられるオイルの発汗法は武術の施術カラリパヤットゥが発祥ではないかと言われている。

 

カラリパヤットゥの施術は特にマルマ療法の観点が強い。

武術は急所と言われるマルマについて熟知しないと怪我をするからだ。

マルマを癒す、保護するという観点からカラリパヤットゥの施術が発展している。 

(大昔のマルマ療法トレーニング中の私)

 

 

 

 「ヴェーダ」は、西紀前1500年頃、インドへ西から侵入したとされるアーリア人の残した文献群、ヴェーダ・サンヒター(本集)とその三種の付属文献、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドの総称として用いられる。 

 

各時代ごとに4つの文献に別れており

●リグ ヴェーダ ●サーマ ヴェーダ ●ヤジュル ヴェーダ ●アタルヴァ ヴェーダ

上記の各ヴェーダに、本集(サンヒター)、祭儀書(ブラーフマナ)、森林書(アーラニヤカ)、奥義書(ウパニシャッド)という区別で4つに分けられている様だが、更に多くの分野に分けられ膨大な数の書がある。

 

ヴェーダは、それらの祭式の行事とまた 伝承の集りの 特徴を持つ。

文献として記述される前の時代は 口伝の能力によって語り継がれており、その後 書物としてサンスクリット語の文献と共に現代まで伝えられた。 

書き記されている前に 口伝のみで受け継がれた時代があったというのだから、それ程古代の人間は、現代人には考えられないほど凄まじい記憶能力を持っていたのであろう。 

 

 ヨーガ哲学の先生スワミからの話によると

アーユルヴェーダの医学の知識は 第四のヴェーダとされるアタルヴァヴェーダのに存在し、その一部のウパヴェーダ(副ヴェーダ)と言われるそうだ。 

現在では最古の医学に関する記述のことを示す。

(三大聖書(サンヒター)とも言われるものはチャラカ/スシュルタ/アシュタンガ とその時代とともにテキストが変わっていきます。)

 

自然科学について説かれているこの世界観は、様々な聖典の中のサンキャ哲学の思想やヴェーダンタ哲学の思想が 繰り広げられており、アーユルヴェーダとヨーガの哲学は共にこれらの思想を共有している。

 

アタルヴァヴェーダは他の三つのヴェーダと特徴が違い

ヴェーダとして伝統を認められる様になったのは後世になってからと言われているそうだ。    

 

 

 これらのヴェーダは、祭式において唱え歌われる賛歌(マントラ)、呪句の集りでリシ(賢者)または ブラフミン(カースト制の頂点に位置する)という祭官の職分に応じて伝承され続けている。

彼らは、古代の時代から 戦勝、婚礼、子孫繁栄、降雨、豊作、長寿、建築 生誕から死、何かを新しく始める時、終わる時等

幸福な人生と社会、様々な願望を成就する為に 僧侶が祭式を執り行っている。

 

現在も 土着信仰や、インド伝統文化(ブラフマニズム<バラモン>、ヒンドゥーイズム等)を重んじる人々に、祭儀や宗教儀式の際に詠唱され、インドでは 日常的にも各家庭の祝いの行事にはサンスクリット語で詠われ続けている。

 

ちなみに武術のカラリパヤットゥの神様が存在するのが、ケララの土着信仰の中でカヴという寺の儀式か執り行われます。

 

 

 ヨーガとは、簡単に表現すれば、心と体の調和(心と体と魂をつなぐ)合一 または 統一

様々なアプローチから業を行う事であり、単なるアクロバティックなエクササイズの為だけにあるものではない。 

 

調和のとれた安定した座(パドマーサナ)は、呼吸、瞑想をする上でも 全ての姿勢(アーサナ)の中で最も重要である。 

楽な安定した座の状態での瞑想の修行は、思考や感情パターンを観察し、思考を止め、絡んだ糸の様な思考を紐解く様にゆくゆくは心の浄化を促す事にもつながる。

 

 

 

ちなみに、師曰く、正確な発音はサンスクリット語をカタカナで示すのは難しいが、『ヨーガハ』というのが語源である。

西洋の人々がヨーガハ(ため息音の様なハ)もヨーガも発音するのが難しい(舌の使い方が異なる)ために

流れで「ヨガ」と呼ばれる様になった西洋発祥の逆輸入的用語である様だ。

 

 

私達は、心と体と魂(霊性)のバランスを目指すと共に、人間が 超越した至福の精神状態へ辿り着ける為に瞑想を修練する目的から、呼吸法(プラーナーヤーマー)、姿勢/座位法の運動(アーサナ)、感覚の制御、集中、心からの祈り、伝統の儀を重んじ、献身の愛を育み、自然哲学を学び、社会秩序、見返りを期待しない奉仕をする、道徳を知る、清浄な心を持つ、適正な食や生活習慣の修練を通して(日常の浄化の向上に務めながら学んだ事を日々実践する事)等を 日々努力する事が必要です。

 

故に、本当のヨーガとは それらの修練のもとで 

適正なライフスタイル、ポジティブ思考、健康と幸福を導く人生そのもの全てを表している。 

 

 

 

 また、瞑想について代表的な聖典『ヨーガ スートラ』を記した 

リシ(賢者)パタンジャリは、アーユルヴェーダ学者としても有名である。

 

この様な、基本的で古典的な豆知識を知る事は 

これからもっと深くアーユルヴェーダやヨーガを学ぶ上で、様々な背景についてを知る事も重要ではないかと思う。

 

 

 インドとスリランカのアーユルヴェーダは現在世界保健機構にも認められた伝統医学として 

今も尚、現代のアーユルヴェーダとして 医師達のもとで研究されている。

アーユルヴェーダ大学などでは独自の新しいアーユルヴェーダの薬も開発されている。

 

過去と現代の流行りの病気や新しい病気の違いは多様にあり、常に医学者達により環境の変化を基に臨床を繰り返しリサーチされなければならない。それに従って、大学での古代と現代のアーユルヴェーダの研究は様々な見解の変化がある。

 

 

アーユルヴェーダ医は患者に、運動のアーサナやヨーガの哲学も含め、スピリチュアルな面を持つ霊性(輪廻転生のカルマ)や精神性を高めるという観点でインド占星術等 教授される事も薦めている。

特に心理学の方面からジョーティッシュ占星術を扱う事がある。(インド占星術でも時代によって生まれた種の型があるそうです)

 

 

時代の流れと共に、鉱物薬を中心とするシッダー医学、中東から発祥のユナニ医学、中医学、等の様な 風土気候の違う様々な伝統医学が存在し その土地に合った形で変換され特徴づけられているが、基本的にはどれもホリスティックな健康法として 個々の健康維持、病を治し、体質のバランスを取り戻し、人の人生と社会が幸福へと導くという膨大な目的を持っている。

 

 

 アーユルヴェーダには、ヨーガと同様に、健康=幸福、心身と魂の調和、長寿、についてを定義しており

自然治癒力を高め、病をつくらない考え方を基本に 若返り、生き生きとした人生を送る為の予防医学を重要視する事から

アーユルヴェーダ病院では臨床経験が豊富な医師達の元で、パンチャカルマ(5つの療法)という長期にわたる特徴的なトリートメントが存在している。(もちろん病のための治療でもある)

それは 浄化法と様々な施術で体質バランス(ヴァータ/ピッタ/カパ)を整えるために注意深く診察し

個人の体質に合った治療が行われる。 

 

 

 パンチャカルマは、一ヶ月程以上の長期期間にわたり行われるトリートメントであり、西洋医学とは治療方法が異なる。

個々の体質に合わせた天然薬草(外用薬/内服薬)の効力を最大限に活かしながら、バランスを失った体質を正常に戻すのだ。

それは 消化力、老廃物生成、免疫力、生命力(オージャス)、ポジティブな精神性の向上

健康的な生活習慣へ導き その役割を担う。 

 

※1週間などの短い期間は 基本的に伝統方式でのパンチャカルマとは言えない治療であるので 例としてあげるが、リゾートホテルでの短期間トリートメントを”パンチャカルマ”と言う場所があるとすれば、予め注意しておいた方が良いだろう。

短期の体験という点では良いが 数週間の治療に比べると、効果の期待は薄いものになり得るだろう。

 

 ちなみに、ヒントとしてお伝えしたいのは

アーユルヴェーダ病院を見極めるポイントは 学位は勿論のこと、アーユルヴェーダ医師が現地で病院の臨床経験が長いかどうか、そしてその医師達が 真髄に生活の中にヴェーダの伝統を重んじ、思いやりの心と愛があるか がキーであります。

 

 

 

 宇宙の万物は 5つの自然要素の存在によって成り立っていると考えられています。

『空/アーカーシャ』『風/ヴァーユ』『火/アグニ』『水/ジャラ』『地/プリティヴィ』の五大元素の組み合わせによって

アーユルヴェーダは、ドーシャという定められた三つの生命エネルギー(ヴァータ●ピッタ●カパ)に分類しており

それらは"体質(ドーシャ)"として知られている。

個人の五大元素の組み合わせがそれぞれ違うため、自ずと体質も個人差がある。

 

アーユルヴェーダ医は、細かく分けると7種の体質で分析をして行く。

これらは受精後胎児の時期に決定され(プラクルティー)。

生まれ持った調和のとれた体質(ドーシャ)のことをプラクルティーと呼ぶ。

 

一般に、健康で生まれてきた際には その体質が調和した状態であり

受精した瞬間から人間は、母親の体内環境、生誕後の生活環境、季節、等で影響される為、不調和の方向へ作用されてしまう。 

生まれたばかりの健康な赤坊が純粋に感じるのは、調和の状態だからである。

 

各自の体質の調和を保つことが、健康には最も重要だと考えられる。

 

生まれ持った優勢のドーシャ(体質)は 外界の影響 乱れた食生活 生活習慣によってバランスを崩しやすい。

ドーシャの乱れは毒素(アーマ)となって内臓器官にこばりつき 蓄積され、後に様々な病を引き起こすと言われている。

 

 

 現代の私達がアーユルヴェーダとヨーガを広い観点から学ぶきっかけで、

 個人の調和(プラクルティー)と不調和(ヴィクルティー)の状態が何なのか 

どうすればバランスや純粋性を取り戻せるのかを、自己を見直す必要に気づいていくのです。

 

 断片的に学んだ知識は、ヴェーダ全体の理解へと繋がらない色々な悩みが出てくる時もある。

しかし、もし両方の観点から総合的に学ぶと、より深く落とし込め、実生活での実践学習から

より深い体感と学びが得られるだろう。

 

ですから、ヨーガとアーユルヴェーダの両方の観点から学ぶ事をお勧めします。

 

<以前は価値判断で物事を観ていた習慣から 年々それが徐々に減っていく感覚の気づきも

学んで良かった事だと個人的には思います。>

 この様な自然の原理に基づいた科学的な学びの講座を受けて

すぐそれが習得できるものではなく、後に生活の場で実践しながら、気づきがあり、その度に学んだ事が理解できる様になったと認識していくものであって、、、と伝えています。

 

 

生活の場で、”分かってるけど、またやっちゃった!”と繰り返す事は誰でもあります。

沢山の失敗体験から何かを学びとって消化し、成長する様に

そこに気付き、ポジティブに変化する自分を楽しめたら 

素晴らしい成長があるに違いありません。

 

心の在り方一つで、今の現状を受け入れるか受け入れないかも重要なポイントでもあり

その影響はその人の成長に大きく関わってくるでしょう。

今を生きる 満たされた自身であり続けたいですね。

 

体と心と魂の調和が健康と幸せの道

誰もがより霊性高く前へ進むことができる智慧がここに在ります。

 

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JUGEMテーマ:アーユルヴェーダ

| yoga ヨーガ | 14:31 | comments(0) | - | pookmark |
ナヴァラートリ

こんにちは
Kayoko Thomasです。




この地球上の太陽暦で今年は10/17から
インドでナヴァラートリというお祭りが始まりましたね。


吉祥の日です。

インドの重要なお祭りで
多神教なので色々な女神様(ドゥルガ/ラクシュミー/サラッスワティ)を順番に祈りを捧げていきます。
大昔にちょうどこの時期にインドにいた時があり 
9夜の10日間行われるんですが
盛大なお祭りでした。


初日から三夜は
戦士の女神ドゥルガ神から始まるのです。
最初に一番強力な破壊力を持った神様に礼拝します。
不浄、悪を神聖なパワーで燃やし尽くします。

帰依者はこの期間、断食も行います。

そして
富と福を授けるラクシュミー神(ヴィシュヌ神の妻)の礼拝が続き
富と繁栄 幸福を授けられます。

次に
智慧と芸術、学問の神様 サラッスワティ神(ブラフマ神の妻)です。


最後にこの側面を持つ神聖なパワーを浴びるのです。


アーユルヴェーダでも言いますが
綺麗な美しい色に染めたいなら
真っ白で汚れ一つない布に染めさせなければならない

という自然の原理と同じで
祈りの力で 魂 心 体を浄化させる過程が あってこそ
栄養効果が得られ(見えない祈りの薬効とすれば 良い結果が現れ)
神の力が適切に授かるのです。

幸福と健康
富と繁栄を切望する帰依者にとって
女神様達の力を借りて、全てを洗い流し 見つめ直し 内側のネガティブを浄化させて 心から精進していく良い時期なのです。

このような 吉祥の時期に
何か特別な祈りをする事によって
素晴らしい事が実現するかもしれませんネ^_^

Om
| yoga ヨーガ | 16:53 | comments(0) | - | pookmark |
呼吸法の理解や 感じ方をもっと心地よくしよう。



ナマステ〜
Kayoko Thomas です。

初心に戻って
何かを行うって
全く違う視点が現れたりした時
新たな発見があるものです。

久々の呼吸についての投稿です。

こうやって書いていて
自分を
昔の初心の頃に戻ってみたいと思います。

普段やる事が多過ぎて余裕がない
と口癖の様に言ってる時が
昔はしょっちゅうでした。

最近の生活は
日本に居るとね なんだか
時には そういう時もあるんだけど
アメリカに居る時は
ライフパートナーと共有し合って生活しているから
ちょっと気持ちも楽になる。 こうやって投稿したり
野菜を育てたり 美味しいと言ってくれる人の為に 料理に集中したりが出来る 時でもある。
心の余裕が出来る時間かな
まさに 自然の恩恵をいただける 大事な時 かな と思う事が良くある。
哲学の本を読み返したり
来年の事をゆっくり計画したり

(趣味の延長の様に 無理なく)
ま、
楽モード 体制です。

しかし
年中 いろんな場所に行って 生活のスピードが様々で
とても極端だなと思います。
季節や環境の影響も多いにあるかなっと思いますが、、、、
本当 今の自分を観察する時も
住む土地環境 仕事量とその質まで
過ごしてきた生活の流れを 振り返る日々です。

心の余裕がある時と忙しくて余裕のない時の呼吸の仕方も
やっぱり違うというのも 一目瞭然で分かって来ますよね。




心が忙しい時に 呼吸法を深くすると
なんだか モヤモヤがスッキリしたり
気持ちが楽になったり

心が安定したり するものです。


呼吸法は
自律神経のバランスを整えてくれます。



普段の呼吸をみていくと
感情が高ぶっていたり、ストレスが多いと 呼吸が浅くなっていて
リラックスしていると深い呼吸をしている という事です。



また
様々なチャクラやマルマ と呼ばれる 心と体の交差点の様な ポイントが点在している
ナーディという菅があります。
その見えないが気道にある気(プラーナ)のバランスも整います。

生命エネルギーの 流動するプラーナが通る メインの場所
それは体の中心を縦に通る主気道 (スシュームナ)で
その中に
性質が反対のピンガラー(太陽/陽のエネルギー)とイダー(月/陰のエネルギー)が螺旋状に
ムーラダーラチャクラの下から共に上昇すると言われる エネルギー が存在しています。
それらをバランスさせ、プラーナを整える事を助けます。

特に アヌロマヴィローマという呼吸法はその相反した流れるエネルギーバランスを整える為に行う
準備体操の様な物です。



基本中の基本は 腹式呼吸が出来ていなければ
どの呼吸法も どのアーサナの練習も
結局は効果が発揮されません。

呼吸法を学ぶのは 先決だと思います。


腹式呼吸は お腹の筋肉もしっかり使います。

初めての方は 吐く時に お腹を凹ませていくことに慣れておらず
また どうして お腹を使うのか混乱して 逆に肩に力が入ったり してしまいがちです。
リラックス状態で出来るまでは 適正な方法で慣れることに 修練する必要があります。






吸う行為を逆に意識せず
お腹の筋肉を使って吐く行為のみを集中し、それを繰り返す内に
どんどん力が抜けていくのを感じてくるでしょう。^_^

気がつけば
吸う息は自動的に 自然に、酸素が体に入っていくのを感じるはずです。


下腹部の筋肉を押す様に縮んでいく様を感じながら吐く行為は
身体の二酸化炭素を出来るだけ排出し
まるで ネガティヴな意識も一緒に吐き出す気分で 行うと 集中出来ます。

肺の中で 酸素と二酸化炭素が交換して
行ったり来たりする事は 誰もが知っている事だと思います。

身体の新鮮な酸素が沢山入る様になれば 緊張がほぐれ 体のリラックス度が向上します。

酸素が増えることにより 血液の循環も良くなるのです。また
血の浄化にも繋がります。

血液循環が正常に働けば 各細胞の活性化と各臓器の機能が良く働いてくれます。


また お腹の筋肉組織も 強くなったり
胃腸のマッサージに代わる役目にもなり 便通も良くなったり
お腹の筋肉と繋がっている横隔膜や 肋骨周りの動きが鍛えられ
肺の 収縮率も 反対に 拡大率も高くなり
酸素を取り入れる肺の許容範囲はもっと高まります。


だから お腹を使うと こんなに沢山の良い影響を得ることができるのですよ。

ある話によると
“お腹に空気入らないよ! 何故お腹からって言うの?” っておっしゃった方が居たそうで


一部の方はそう思うのか?!
では
私も疑問解消に、ブログに書いておこうと思ったわけです。


この練習を日頃することにより
日々の暮らしの中でも 普通に 無意識に 呼吸法通りのやり方で呼吸をする様になります。

そうすることにより
普段から 酸素を多く取り入れた心身へより ストレスフリーな 心へ
より 体がしなやかに 安定し
心配事 怒りなども 減少していく
良い事だらけの人生へ変わっていきます。





この練習を始めたばかりの私の生徒さん(60歳)の1人が 初めは やはり混乱して 何度も逆に 吐く時にお腹が膨らんでしまう事がありました。
以前どこかで教わったヨガクラスを受けてずっと感違いをしていたと言ってたのを思い出します。


人にもよりけりで
その方の場合 始めてから
一ヶ月後 、正常に 腹式呼吸を自然に できる様になりました。


それが 出来る様になってからは アーサナもスムーズに そして
効果も現れたと 喜びの声は 何倍にもなりました。


腹式呼吸が出来るようになったら
次に
完全呼吸法の練習です。

これは 腹式ができる様になれば
簡単に 出来ます。

お腹に意識を向けた時に肺の動きも確認していけば 直ぐです。



呼吸と血液と自律神経系と心は 切っても切れない関係であって

川の流れと似ており
血液が 川の水だとすれば

一呼吸で
沢山の二酸化炭素排出で 沢山 酸素を取り入れる様になり
そして、血液が綺麗になり
呼吸法でリラックス度が高まると
血液の菅が広がり 血液の流れも良くなります。
血液の菅に溜まった毒素アーマも、それと共に
気の流れは見えないが
そのナーディの(心のアーマ)詰まりも 改善される様になるのです。
これらの相互関係の働きは
心と体の調和へ導きます。



呼吸は
ヴァータのエネルギーが大変重要で
体の変化 、呼吸、体の循環機能は ヴァータの力無しでは 機能しません。
そして

宇宙(自然)=私の内側と外側の環境
月と太陽の相反するエネルギー
五大元素=ヴァータ ピッタ カパ と
心のドーシャと言われる
サットヴァ ラジャス タマス の総合的なバランスに繋がることに等しく

それら全体の意味を
理解していかなければなりません。



理解は
今は点かもしれません
しかし 点と点が繋がり
いつかは
線が縦糸横糸に組み合わさって
理解が 深くなり
一つの美しい織物の様に 純粋で新たな知識が 内側で構成されていくのです。

その内側の変化に 気づき
私を織っていく作業を 楽しみながら
自己成長があると思います。

そんな深すぎる 智慧
人生を変える
ヨーガとアーユルヴェーダを学んで欲しいと願います。



朝起きが 辛かったり 身体が重いな いつまでも眠いなー など また 食欲が出ない時には
カパラヴァティという呼吸法をすると とっても軽くなり 食欲も上がります。


また、暑い夏の環境等
暑くて イライラとしている時は
アヌロマヴィローマを軽く行い
身体を冷やしてくれる シータリーという 呼吸法を すると スッキリして 心が落ち着きます。


今や ネット情報で沢山 載っていますが
やはり 呼吸法に関しては 師と思う方々に
実際に指導されて
習う事をお勧めします。





瞑想を行う前にも
呼吸法を取り入れて心を落ち着けてから
瞑想をすると
集中力を担います。



色々な心得が 他にもありますが
今日は ここまでにします。

また 年間 行事 企画しておりますので
たまに チェックしてくださいね。


www.padminayurveda.com

Om shanti

| yoga ヨーガ | 16:26 | comments(0) | - | pookmark |
カヌールのパラマハンサヨーガナンダの小さなアシュラム





ケララ州 カヌールでの日曜日の朝
前から気になっていた近くのアシュラム に 立ち寄ってみようと 思っていたら
オープンしてるかなぁと
吸い込まれる様に そこに向かっている自分に気がつき
いつもと違うルートでスクーターで走ると
きっと開いてるさ と イメージしながら行ってみることにした。
すると
関係者が私が着いたと同時に 話しかけてくれた。
中に入っても良いよ と許可を受けて
入り口にサインをして
入室してみると、 もう15人ぐらいの人が 軽いヨーガをしていた。
全員もちろんインド人
クルタ 、サリーや 普段着で #ヨガ をしている。
昔 地元のヨガクラスに通った事があるが
全く同じ光景を目にし
なんかホッとする感じ。

女性は肌を露出しないのが基本。
軽い準備体操 の後 マラヤラム語で 聖典 の一説を読み上げ
ハーモニウム を奏で
チャンティング
そして瞑想
なんとも心地よい空間
また来たいと思った。

帰り際に マネージャーさんに パラマハンサヨガナンダ のソサエティーをすすめられ (当たり前だが)
本を読んだか?
と聞かれました。
でも
私は本を持っているけど
読み終わってないと言う。
だから読むことにする。
これもご縁なのだな〜〜(o^^o)
映画も観なくっちゃ!












ケララ州カヌールのアーユルヴェーダ病院で スタディツアーがあり 日本語オンライン授業と 合わせて しっかりと本格的なお勉強ができるプログラムがございます。↓ https://www.padminayurveda.com/study-program/


| yoga ヨーガ | 23:14 | comments(0) | - | pookmark |
ケララのアシュラムから メリークリスマス
メリークリスマス!

Om

旅の途中
毎年滞在する アーシュラム

私の中で一番ホッとする場所。
安全で サトヴィックで 素敵な人達が 愛と平和の意識を 持って共に生きている感がとても気持ちよく感じあえる場所。
そんな所で年末 の
クリスマスを迎えられ
なんて幸せでしょうか!?

皆様も素敵な年をお迎えください。





























| yoga ヨーガ | 07:47 | comments(0) | - | pookmark |
デリー の シヴァーナンダヨーガセンター でお世話になりました
Om namah shivaya





久々に 冬のインド デリーに滞在中

相変わらず 空気汚染は気になるが
シヴァーナンダ
Dwarka センターが空港の近くだし ディレクター Vijay ji
に 7年前ぐらいに シヴァーナンダ ヨーガ ヴェーダンタ東京センターで会っているので 行ってみようと思った。

噂も色々と聞いていたが
以前よりも ここも 雰囲気が良い感じになった様だ。


私は
毎年 知らない所を訪ねると何か新しい感覚になったり 経験値が上がるので
行ったことのない
何処かに 毎年必ず行く様にしている。

ここはデリーでも 静かで 良い住宅街で
ローカルのインド人も雰囲気がめちゃくちゃ良い感じ。

師であるスワミゴーヴィンダナンダ もここ
ドワールカーに先月来ていたと 聞きました。


着いた次の日から
さっそく朝からヨーガクラスに参加
生徒は ほとんどインド人

流石 発祥の地 インド のローカルな人でも 別にスリムな体型とかでなくても
全体的に40歳〜70歳の年代にして
とても レベルが高い方が多いのには驚いた。

西洋的お洒落なブランドヨガウエアなんて来ていないのが
かっこなんてどーでも良く、純粋に体操をしに来てますっという現れだし、もう雰囲気からして バリバリ集中力半端ない空気感が 最高でした。
先生の 教えるスキルを見ていても
9年前 私が 受けたTTCの基本練習がちょっと蘇って来た感じがあったり
懐かしく感じたり、 色んな発見がありました。

やっぱり こう言う光景を見せられると
文化が溶け込む瞬間というのか





暖房が無くて朝晩 冷えて嫌だけど
それも修行と受け止め
来て良かったなと2日目に思い始めました。


久々のVijay ji も随分とご立派になられた雰囲気で 初めてあった時 から 年月が経った様に感じられるほど 人の成長を 自分の成長の様に嬉しく思いました。

会わないうちに 沢山の経験を重ねて来られた という印象でした。


自身の成長は あまり分からないものだけど
人の変化をみる 喜び という物が
また自分の成長なんだな
と思う事にしています。




食事は 大変シンプルですが
美味しくて これぞサットヴァなヨギ食
と言えると思います。
もちろんヴェジタリアン食で

ウッタラプデーシュ州出身のシェフ
の作る料理は ネパール料理に似ています。

チャパティの こねて伸ばす 手つきを観察
とても勉強になりました。


何度も何度も
色んな人の 作る手の動きが
色んな所で 違いがあるものの
食を扱う 優しい しなやかな手つきは共通しています。




ストレッチをしながら
ランチの時間を待つ
カルマヨギーたち




デリーの空気汚染
隣が公園で陽の入るビルだから とても嬉しいですが ダイレクトに陽に当たりたくて公園に歩いて行ったら、 木々の葉は 全てホコリで覆われていました。
植物も 酸素不足になるだろうな〜と思いながら ご苦労様ですと交信した次第です。ニームの様な生命力のある木が沢山植えてありました。

植物の声が聞こえて来そう。

さて近くのマーケット
セクター6 と セクター10
に行って来ました。10分ぐらいの距離で
なんでも揃ってます。庶民的なマーケットなので 高級ブランドはありませんが
必需品は ここで
済ませられます。
日本に老眼鏡を忘れたので
今回 ここで 良い物を安く買えました。
勿論 交渉は 強気で頑張れば 必ず30パーセントオフには なるでしょうが

安くして〜〜だけじゃダメです。
インド初めて
なんて言ったらダメですよ。

仲良く 店員と 世間話もしたり 家族の話とか 困ってる事とか 色々して
帰る素振りでもした方が もっと安くしてくれます。
また来るね〜〜^_^と言って ハッピーな顔で店を出ると
また 来る時 喜んでくれます。









すれ違うたびに
Om namah Shivaya
と とても礼儀正しい人ばかりです。
素敵ですね。
行く場所違えば
そこは全く別世界

心の在り方ひとつで
人生 の 楽しさは
大きく差が出ます。

謙虚な姿勢と 愛情と思いやり
アーサナをするだけでなく
瞑想も きっと
この様なレベルを目指す人生にしたい方に
とても役に立ちます。
デリーに住む日本人 またデリーに来る機会がある方々へ 日曜日の10時はトライアルレッスン がフリーであるそうですよ。






最後にVijay ji のアドバンスクラスが受けれて良かったです。
楽しくて 1時間半はあっという間でした。



土曜のサットサン と晩餐





葉っぱのを縫って皿に してるよ
これ良いけど 汁が漏れました。
最後の夕食
いっぱい食べ過ぎました。


om


ケララ州カヌールのアーユルヴェーダ病院で スタディツアーがあり 日本語オンライン授業と 合わせて しっかりと本格的なお勉強ができるプログラムがございます。↓
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| yoga ヨーガ | 11:48 | comments(0) | - | pookmark |
インドで学ぶ 希望の光 達へ ”経験は宝物” 

こんにちは!Kayoko  Thomas です。

 

私の体験を通して、ブログに述べる事は久々な様に感じます。

 

私の人生やインドの体験からの気づきとかって 言葉で表せない部分とか 色々とあるんですが、ヴェーダを学び続ける身としては

いろいろな角度で 一つのパズルが組み合わさって行ける表現を この場で伝えようとしています。

 

メディアニュースで 子供達が飛び降り自殺とか そういうニュースを聞くと

様々なストレス社会を みんなが変えていかないと大変だって 思うから、、、

”私の想い”についてを ブログに紹介したくなりました。

 

生と死は あって当たり前なんだけど、それが無くなったら、魂(光)しか残らない。

コップとその中の空間があるでしょ。例え、コップという物質の型が無くなったとしても その空間は在る訳です。。。

 

だから何と思う人、その違いは何? と疑問に思う人 様々ね、、、でも深く考えてほしい。

型が無くても 残るその空間という在る”本質”は何かを 

 

 

コップという型が無くても その在る そのものが 満たされていたら最高ですね。

目に見えなくても、分子レベルからすれば、在ることに気づくのです。

 

それは 永遠の存在で 完全なるもので 全ては一つとする 超越した絶対的な意識 であり 神でもあり

Sat chit ananda  最高な至福の存在 なのかもしれないね。

 

物質的なことばかりの世界ではない 時間を超えるところが 在るとすれば 祈りというのは見えないエネルギーのお薬。

 

いつも祈ってたら、実現した!引き寄せた! と直感で感じた事はありませんか?

 

私たちの周りにいろんな角度で存在しているとすれば

きっと 巨木のスピリットさん達と 楽しく会話もできちゃうかもしれないよ。笑

人生 は 面白くて 楽しい 旅だ。 

 

 これまでの学びを機にステップアップしたい またこれから学びたいと考えていらっしゃる皆様に

これからも進化し続け、深みのあるアーユルヴェーダとヨーガを提供して行きたいと願っております。

 

 過去2010年以降から現在に至り、都心と地方各地で私のアーユルヴェーダとヨーガのクラスを行って来ました。

ビギナーの方のみならず、ヨーガのインストラクター並びにアーユルヴェダーセラピストやアーユルヴェーダインストラクター達と、様々なクラスやWSで繋がってまいりました。

 

今までの活動を開催し、ある一部の方は日本のアーユルヴェーダ学校や他のベーシックコースのセミナーを受講された後に私の講座に来られる方も多数おられました。

その中で、本場インドで学び続けている私自身の感想は、日本のみで学ぶだけでは何か体験的に足りないのではないか?そしてにほんでヴェーダを学ぶ事は断片的である様にも感じる事がよくありました。

 

これらは普遍的な奥深さのある智慧だからです。

 

インドに長年訪れ、謙虚な数人のアーユルヴェーダドクター達やスワミ達 ヨーガ 業者達との交流があった事が

素晴らしいギフトで 思いを馳せるきっかけでもありましたが

沢山の方達が、私たちと共に 果てしない本当のヴェーダを知る奥深い基礎を これからも 以前よりも より深い領域へ

そして 

アーユルヴェーダ医の元でインドの伝統文化に触れながら 習得された方が良いのではと考える様になりました。  

 

私自身、インドで ジョーティッシュインド占星術や 手相占いの人が突然現れたり、と 色々と出会いから起こる不思議な体験をしました。

人生が祈りと共に、とても良い方向へ変化したことで、言葉では表せない素晴らしい体験を得ることができました。 

 

インドで もっと冒険心やスピリチュアルな精神性を磨く事も 大変重要な要素であると気付きました。

 

そして毎年の様にインドへ旅と修行を重ねる様になり、インドが大好きになりました。(ネパールも)

 

敏感な方は きっとインド体験によって、何か奥底に眠っていた古い(前世かも?)記憶や智慧が心に響いて来るはずです。

 

 

 私達自身、講師でありながら学びに来られる生徒様から(教える立場としても)

それ以上に学ばされる事は沢山ございます。

そして アーユルヴェーダの医者達でさえ臨床する上で基礎の復習も繰り返しながら

”我々も次のステージへ 成長し続けている” とおっしゃるのです。

 

10年以上も長年において PADMINオンラインショップも運営している傍ら、以前は アーユルヴェーダオイルについて

アーユルヴェーダセラピスト(お客様)達から よく本場の特殊なオイルについての質問が沢山届き、その度にお答えしていた時期もございました。 当時は セラピーをしている方々が 体質にあった薬草オイルについてを熟知している方々よりも、熟知していない方々の方が多くいらっしゃる事に驚きを感じました。  

という事は 深い基礎学や実践的な学びがもっと日本では必要で需要があると思いました。

 

アーユルヴェーダの学校で学びセラピストとして開業するにも アーユルヴェーダ講師になるにも、基礎は勿論のこと 

現地での薬草の知識や様々なオイルについて学ぶことは必須科目と考えます。 

幅広い新鮮な薬草、品質の高いオイルが どういう物なのか、インド現地でしか学べない事が沢山ございます。

 

ドクターと共に語り合った内容として 例にとると、

現代のアーユルヴェーダを学ぶ人々の中で、一番大事な基礎中の基礎である五大元素(5つの自然エネルギー要素)の理解が意外にも少なく、全感覚で理解する事にもう一歩踏み込んで欲しいと思う方々が かなりの数でいらっしゃる という事です。

 

これはヨーガにもアーユルヴェーダにも共通の学びで、紙の上だけでの勉強ではなく、感覚器官や直感で自然エネルギーの質についてを理解していないとならない事でしょう。 

 

しかし、大都会に暮らす人間は 生き物や自然に触れる機会が減っていますので

自然エネルギーを生活の中で感じる能力を失いつつあるのが現状です。 

 

便利な世の中になり、家電にパソコン等に囲まれた生活に慣れてしまうと

自然との共存から得る事が難しくなって来ております。

説明されて頭で解っていても、本当は体全体でエネルギーの質を感じる(真に理解する)事ができていなかったり 

と言ったことがあります。

 

現代人が人工的な物ばかりで自然の少ない環境で育つと、自然と共存するという基本的な事が学べず、または忘れ去られ

生活の中で、本当の意味で自然の恩恵や自然エネルギーに触れるという事できなかった原因で、自然エネルギーの特徴についてを深く理解できなくなっているのでしょう。

 

例えば、約50年前の日本人は焚き火や暖炉に火を起こす習慣がまだまだ何処にでもありました。(スローライフが懐かしい)

薪を割る、それは木の性質を知らないと割ることができません。

また、火がつきやすい薪、そうでないものの区別までも理解できてないと薪をしっかり扱う事ができません。

木にも油性が多いか少ないかも関係し、特質を知らなければなりませんし、一旦乾燥させないと火は断続的に燃え続けません。(消化のアグニは火に例えますので 火というのは周りの環境(他の自然元素)によって火の効力が大きく影響されます)

 

木が湿っていては火がついたとしても、すぐ消えてしまう事がありますよね。

湿ってずっしりと重い薪は 火が付くのにとても時間がかかります。薪を人間に例えると、カパの体質と消化の力の関係性が 全く同じということになります。

 

自分を知るという事は大自然と宇宙を理解しなければなりません。 (太陽や月のエネルギーについても)

一つ一つ丁寧に自然要素を感じ理解する事で、アーユルヴェーダやヨーガ の知識の幅がもっと拡がるのです。

 

本当のアーユルヴェーダを学んでいくと、自然の中で暮らしたいなーと 徐々に思いの変化に気がつきます。

 

昔は台所や居間で、また空き地でも 薪で火をおこす生活習慣があって、頭で考えなくても 自然に火というエネルギー性質を理解し、簡単に火を焚くことができました。それが誠の人間の智慧。

 

火の要素の消化力をよくするために 木を例えて観るならば 自然共存の生き方をする人間は、体で自然要素を理解しているので、特に意識しなくても 人から教わる事もなく 食の養生法や日々の過ごし方を通して、消化力は 健康のバロメーターだという事も理解していたはずです。 

無意識に、自己消化力の調整を自然に感知していたのでしょう。

 

自己治癒能力がとてもあった民族だったと思います。

 

だから健康ブームという言葉は 昔には必要とされず、その様なメディアは存在しませんでした。

すでにたくさんの人々が健康で幸せな人生を送っていたからです。

昔の日本は、世界で一番幸せな国だったのかもしれません。

 

山岳や寒い地方の民は 発酵食 味噌や漬物でも塩分の強いものを多く摂ります。

体を温めるために体が必要とし

また、温暖な地方の民は塩分の少ない食習慣が多いのは 自然に体が必要としているのです。

当たり前ですが、南地方は暑いので塩分控えめの食生活が暑さをしのげます。 

体が知っている 感覚が知っている という事ですね。

 

感覚的な分野に気づかさせられる事の多いアーユルヴェーダの学びは 尽きる事がありません。

 

 

子は当たり前の様に両親のお手伝いをし、親から子へそれらの智慧が伝わった自然の生活習慣が 戦後以降は それが激減した時代です。 

今 子育て奮闘中のご両親に お伝えしたいのは、未来を明るく灯す子供達へ 危険だからとか怪我するからとか言って やらせないのではなく『七転び八起き』の様に自然体験をさせてあげる機会があると良いと感じます。大人が目の前で適正な判断とポジティブな言葉で知らせる事も大事ですし、その場での 子供達に適正な判断能力を養える機会にもなります。

転んでも自分の力で起き上がる 自立性 自発性も養い、人間にとって何が大切かをを伝えるために 自然に触れる機会を沢山設けて 鋭い感覚を養ってあげて欲しいものです。 

 

ですから

結果的には そういった自然体験を感覚で深く理解しない限り 本質を見極める力ができないということにもなります。

 

自然に触れない生活は 感覚能力を衰えさせます。

 

私がある時、生まれ変わった様な時期を迎えてから

森の中で暮らし、家庭菜園などの試みをする様になりました。 

自然からの学びというテーマに尽きる事はありません。

 

アーユルヴェーダやヨーガに限らず

ある一部の人たちはオーガニックやスローライフ、自然志向派を目指した生活に目を向け始めてきていますね。

 

自然共存を含めた新しいライフスタイルを追い求めて

『本当の幸せとは』真剣に考え始めている若い世代が 田舎へ移住する人も増えています。

 

これからの時代、自然に還った人間らしい生き方を望む人、私達の想いに共有していただける方が増えると信じます。

 

私の場合、オーガニック菜園を自然から体感で教わる機会がとても多い事が、有難い事であり

自然のエネルギーの要素と植物と環境についてのエネルギーのサイクルシステムは

私達の体にある生命エネルギーシステムと何ら変わることがないと 自然からの恩恵をいただいております。

 

ヴェーダの本当の理解に悩んでおられるなら

基本の学びに戻り、心をリセット状態にし、もう一歩先の深さを学んでいただける為に 

違う角度から学ぶ努力をされる事をお勧めします。

 

土に触れ自然の恵みの体験等実践の学びを試みることも大事になると、常に私は生徒さんにそう言い続けています。

自然に存在する五大元素の組み合わせと自然が影響しあっている状態を、その場で検証することは自然と一体感を感じ

心は喜びに変わります。

 

ベランダやお部屋で植物を栽培する事からでも第一歩であり

月と太陽の光、土と植物の生命を感じる素晴らしい機会と試みなのです。

 

 

「本場のアーユルヴェーダ施術体験」「インドで学ぶ」「体感して学ぶ」事により 伝統を重んじる心を養うことも大切であり

学生がセラピスト、インストラクター、カウンセラーの様な技術だけを習得するだけではなく、

これらの智慧から 最良なコミュニティー 社会や友人、家族の良好な関係を築くことも 幸せの道に繋がる事であります。

信頼性、誠実で常に良いお付き合いの人間関係を維持する事とは

自分自身に非暴力、愛と誠実で正直で、盗むことをしない、慈悲深い 清浄な心を持つ人間である事が大切。

その様な人間関係でいたいと常に願望と努力をしないといけませんね。

(しかし、その逆の行為をする人達から、人が危険や不幸を招く恐れもありますので、自らその環境から立ち去る決断も必要かもしれません)   

 

 

 

 私が互いにアーユルヴェーダDr達と協定を組んだ理由、様々な想いが在ります。

 約10年間以上にわたり、カナダやケララ州で様々な病院、クリニック、アーユルヴェーダリゾートの関係者 医者と交流

のあった中で、私が誠実にお付き合いできると確信できたのはドクタープラパンチとドクターアーシャのご夫婦とのご縁。

 

幼児の頃からアーユルヴェーダの名医と言われた祖父からアーユルヴェーダを学んで来られたドクタープラパンチは、伝授された知識と独自の研究で、彼自身が良薬を製造できる絶大な知識をお持ちです。

また 彼らは、アーユルヴェーダの歴史と密接なヒンドゥーイズムの文化を生活に取り入れております。

地元のカヌールでクリニックだけでなく病院や薬局をベースに医療活動に励んでいらっしゃり、頻繁に老人福祉に無料で医療を提供する慈善活動もされておりられ、地元や世界中の人々からも評判が良い権威のある方々であります。

 

故に この良きタイミングで、素晴らしいと思える彼らの元でなら 協力も惜しまないだろうという思いがありました。

 

アーユルヴェーダの人間哲学を生まれた時からヴェーダの文化と信仰と献身に触れ、誠実に生活にも取り入れているドクタープラパンチ達の様な方々は 本当の意味でアーユルヴェーダを誠実に理解する人達と感じます。。 

 

(※豆知識として※インドでは多信仰の国故に、異なる信仰を生涯受け入れ、ヴェーダの勉強をされたアーユルヴェーダ医学者もいらっしゃいます。 医者家系から代々受け継ぐ医学者 としての後継者も 旧王族のアーユルヴェーダ医の家系 他の宗教から発祥の医学複合して学ぶ人、一般人 等から、インドのアーユルヴェーダ大学を出てアーユルヴェーダ医になります。

全てのアーユルヴェーダ医学者になる人はどんな人でも サンスクリット語で聖典を解読し理解されなければなりません。 

シッダー医学やユナニ医学もアーユルヴェーダ医学と似ているとされます。 

しかし、ヒンドゥー文化やヴェーダの文献とは異なる思想、人間哲学の考え方や信仰が元々異なるとしても、アーユルヴェーダ医になられる人は インドでも沢山いらっしゃる事を知っておかれると良いでしょう。 

 

(信仰が異なる事により、献身的な愛を持って行われるヴェーダの司祭と共に、儀式を普段からとり扱わないアーユルヴェーダ医もいらっしゃいます。) しかし、ヒンドゥーを信仰されるお医者様は 初めと終わりの行事に儀式や祈りのマントラを唱える方もいらっしゃいます。

 

 

10年間以上も通い続けたこの力強い大きな国インドで 私が本当に信頼おけるお付き合いが出来るインド人は 

正直 五本の指で数えられるだけかもしれません。 

 

 インドはアーリア人等が西方面からインドに渡り長い歴史と植民地時代、民族同士の戦い、他国との深い関わりの元 多岐に渡りアジアと西洋が混合された特殊な文化を持ち合わせた国です。

故に、現在のインドは様々な宗教が沢山ある中で、お互い全く違う価値観 人生観があるにも関わらず、お互いの違いを受け入れ暮らす国であり、例え人生観が違ったとしても、(一般的な人々)クリアな態度で、お互いを踏みにじる様な行為は 日常には殆ど観る事はありません。

 

 旅をしていると、必ずと言っていいほど、どこの地を訪れても不思議で共通する点は、良いも悪いも関係なく 

最後は「問題ない」で丸く治めようとする点、そして 明るく楽観的な性格の人がとても多いという点等の

特徴を良く目にすることが多いでしょう。

自己主張性もしっかり持ち合わせているインド国民という印象があり

現代の日本人よりも鬱になる確率は 実際にインド人の方が少ないのではないかと感じる事もあるほど明るい性格の方が多いです。

また、助け合い精神も旺盛です。

 

 人や何かに依存する傾向や、他人に合わせることが得意とする日本人にとって、もしインドで滞在する機会があれば

”インド人達の自己主張とは、独立性とは、明るくふるまう自然体の表現力とは” 

をテーマに持ち観察と体験で学んでいかれると

自己啓発にも良い影響があるでしょう。

インド体験で 

自分が変化することに勇気が出てくるのではないだろうか? と思います。

 

私の様な海外に住む日本人の声は 共通して 観えなかった日本の良さや素晴らしさに気付かされる反面 

小さな国の中の小さな視野になりがち といった 客観視ができる様になると言います。

 

グローバルな観点からすれば

やたらグループを作らなくても 一人一人が 枠組みのない広い交流と共有の拡散させる事で、個性の違いを認め合い

尊重をし合う事になれば すばらしい世界になるだろうと思います。

個性を大事にする社会的環境は重要です。 

 

皆んなと同じ様にしてれば、安心 という日本人の気質は 世界では通用しません。

(人の意見と反応を気にし周りの空気を乱さない様気配りが先行しすぎて、正直な個性的表現ができない人も多いと聞きます)

 

グループや集いが大好きな傾向のある日本人   

日本人は世界中でも 客観視ができ 思いやり意識の高い民族でありますが

依存型タイプがとても多いのは誰もがご存知のことと思います。 

人の目を気にせず、正直に自己主張のでき、人任せではなく、やりたい事は自分で調べ自分で決断し自己責任で行動する 

という人が増えて 個性豊かな社会も大きく開かれ 国際人も増加すると思います。

(人を思いやる国民と思っているので、エゴイスティックな一方的な自己主張という意味ではない)

 

大半の日本人達も、自己表現と主張が上手にできると、きっと世界中でも 更に国際人との交流が増加し

自立心、独立心の向上や、様々な国際平和的交流が繋がるのではないだろうかと、少なからず希望を膨らましています。

 

グループの中で 発言権が得られず 個性が発揮できず、心の中で不完全燃焼な気分になる体験をされた方

是非 アーユルヴェーダやヨーガ の深い学びで ご自身の聖なる勇気を呼び起こし学習や癒しに没頭して欲しいと願います。

ストレスを解放し 

心と体が健康で 調和のとれた状態は、周りの人間関係もとても良い状態になるでしょう。

自分を良い環境の場に置く必要のある人は、行為を決断し実行する勇気も必要です。

様々な必要不可欠な選択は とても大事になります。

 

個人から周りの人たちへ、小さな社会から大きな社会へ、大きな社会から地球全体まで 地球から全宇宙へ 

健康と幸せの波動が広がる事を祈る事 全ては一つ 統合する つなぐ という”真理”が開かれるのが 

奥深いヴェーダの教えです。

 

 

 

 

 インドは同じアジアという部分では、とても日本と似ている文化的観点もありますし

様々な文化の違いも大変興味深く、インパクトのある印象が 私達の心に刻み込まれます。 

インドに旅した人々は口を揃えて

「一度行くと まるでカレーのスパイスの様にまた訪れたくなる(癖になる)」とよく耳にします。

 

最近になって

インドに興味を示す人が増加したのは、昔にあった日本の風景や文化に とても似ていただろうなと思う所が

色々な箇所で見受けられ とても気持ちが落ち着いたり、懐かしい日本の思い出や 匂いからの記憶等が

心に浮かび上がったりするのです。(40代以降の年代の方は私の意味が理解できるかもしれません)

 

それだけ、都会はコンクリートやアスファルトで覆われ、日本文化や、100パーセントの自然風景が少なくなってきているだけに、人々が求める 心の故郷、癒し、個人の中にある自然と幸福、幼児時代のいっぱいに満たされたあの時を 探し続けている様に感じます。

 

 

 

 アーユルヴェーダ歴が私より長い主人が、カヌールを毎年訪れて12年ぐらいになるでしょうか

その地が自分の家の様に感じると言う程に、強いご縁を感じるケララ州北部にある小さな街カヌール(またはカンヌール)

そこに 毎年の様に一緒に訪れることができ、いつも心地よいのは何故なのだろうか と考えた事があります。

昔 どこにでも日本にもあった様な 人間の温かみに触れ、昭和初期、中期頃の様な匂いが

子供の頃の純粋なあの頃に戻った様な錯覚を覚えます。

私の不必要な思考パターンやエゴを取り除く為に、必要な修行の機会を与えて貰える場であるのでしょう。

人生の折り返し地点の様に、私にとって、これからもこの地と深い関係にあるのかもしれませんね!(余談)

(カヌールは心豊かな人達の多い 田舎町で、ビーチ沿いでは、観光地ではないですので、のんびりとした時間を過ごせます。)

 

 

 各生徒様にも 各自に心得として持って頂きたい事は、

ヴェーダは計り知れない一生の学びと考えていただきたい事。

偉大な自然に人間が敵うものはありません。

 

 私達も教える立場でありながら、人生のステージ毎に 繰り返す基礎学から日々、気づきがあると語っています。

そして、生徒達から教わる要素も沢山ございます。

ヴェーダは自分自身が「人間哲学を実践する事」を基本に、生活の場で気づきと 

そこから学ぶという事が繰り返し必要不可欠になります。

そこから観察力、心から識別力と分析力と実行力が向上し生まれます。

そして、学んだ事を反服し、語り、教える事により、自分自身に深く強く学びが確率されることでしょう。

 

新たに疑問が現れる時、自身に知識に対する願望が啓発されます。

その繰り返しが 私達の精神向上へと繋がって行く事でしょう。

 

学んだ方々が、先々 教育者や経営者、リーダー的存在になろうとする時

肯定的 否定的思考の両方を受け入れる『私』と言う自我を 客観視と主観視を通して観ることを惜まず

抵抗せず 背かなくなった時 

あるがままの 私 と言う在り方について、自己の精神性と向き合う様になります。

 

これらの叡智からは、あらゆる角度で精神面、肉体面の向上に大いに役に立つと感じますし

正直に話し、信頼しあえる仲間、繁栄と良い人間関係が増える事は

感謝と満たされる喜びの中で生活を送れますね。

 

これらの智慧を断続して学ぶと言うことは

瞑想を通して、観察能力 直感力、精神と霊性を修練する事も忘れてはならない要素です。

 

 

 多くの人達が ヴェーダの恩恵を受けられる様になるためには、だからこそ

本場での伝統を知る事と体験によって養成する事が大事だとDr.と私達は考えます。

 

 

基礎学習だけでも膨大な深さがある知識ですので

繰り返し何度も基礎を学ぶという志は 深みのある人格形勢に役に立ちます。

 

本当の意味で人々に癒しや施しができる、自然科学の知識の共有を提供できる日本人を養成できる事が夢であり

私達の目標です。

 

資格が取れるということだけにフォーカスをしてしまうと、学びの過程での本質的な楽しさが減退してしまう事もありますが

本当に求めていた学びと知り、やりがいのある楽しい学びの上に、良い環境で資格が取れるなら

一石三鳥(笑)な気分になりますね。

 

 

 私は昔から健康な事にとても興味があって、薬草や植物や、家庭療法や料理、大自然の環境で暮らすのが事等

大好きがきっかけで、自然と人間科学のアーユルヴェーダとヨーガに惹かれました。

好きだからこそですが(中には不得意な分野の学びも含まれています)

沢山の失敗もしながら その度に乗り越えてきた部分もあります。そして先々もあるのでしょう。

 

様々な障害の壁を乗り越えるというのは、(価値判断やエゴを 取り除き受け入れる意識を見い出す様に)

各々の成長を大きく助けるのです。嫌いは好きの裏返し(コインの裏表は常に一体です) 

嫌いの意識は好きになる意識へ変わります。また反対もそうです。 

自分がどちらの方向へ行くかは、自分の心の質次第です。

でも どちらの両極にも心は無影響であると どうなるでしょうか?

 

両極の意識を上手く自己コントロールできると良いですよね。 

子供の頃 野菜が嫌いだったのに、大人になったら好きになっていたって経験もありますよね!

経験を通して 思考と感覚は繋がっていますし、 思考パターンの変化により、あなたの感覚も意識も変化します。

 

そこで、もし心の壁に乗り越えずに止まっている状態があるとすれば

変わる事への抵抗がある自分の内側を 良く観察し

まず勇気を持って、楽しんで乗り越える意識へと返還させねばなりません。

 

全てはポジティブ思考の変化。

 

 

今というこの瞬間を 大事に考えて 丁寧に行動する。

 

 

先の事ばかりを推測して不安や心配事で苦しくなることはやめましょう。

過去の事ばかり振り返って、責めたり悔やんだりするのはやめましょう。

今という幸せな気分を感じ味わい、努力し 行動すれば、己の未来へ素敵に繋がるのです。

 

あの時の辛かった事も、楽しかった事も もう過去の出来事でしかなく、

全ての価値判断が無くなった瞬間に

 

あなたの全ての『経験は宝物』という意識へと変わるのです。

 

 

自然に

夢中でやりたい事を続けていれば、きっと貴方のやっている事に興味を示してくれる人が現れます。

 

だから、じっくり取り込む事が大切なのです。

 

 

「私が望むものは 自己を満たすものは 何だろう?」

 

 

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PADMIN インドの病院でパンチャカルマやリトリート2週間  

 

 

 

JUGEMテーマ:健康

| yoga ヨーガ | 18:05 | comments(0) | - | pookmark |
時を超えた美しさ

こんにちは Kayoko Thomasです。
オードリー・ヘップバーンが
亡くなる前に
自分の子供達に読み聞かせた詩を読んで
素晴らしいと思いました。
それは
友人の繋がりから私へ届いた詩

私は オードーリヘップバーンのティファニーで朝食を
が大好きで
若い時良く観ました。
精神性が高くて 気品があって 慈悲深い人という印象

女性の憧れですよね。
シェアさせてもらいます。
素晴らしい言葉を残され 息子さん達は幸せですね。



『時を越えた美しさの秘密』
"Time Tested Beauty Tips" ―Sam Leveson

魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
For attractive lips, speak words of kindness.


愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
For lovely eyes, seek out the good in people.

スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
For a slim figure, share your food with the hungry.

豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
For beautiful hair, let a child run his fingers through it once a day.

美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。
For poise, walk with the knowledge you'll never walk alone ...

物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、
People, even more than things, have to be restored, renewed, revived,

何度でも再出発することができます。
reclaimed and redeemed and redeemed ...

誰も決して見捨ててはいけません。
Never throw out anybody.

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。
Remember, if you ever need a helping hand, you'll find one at the end of your arm.

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。
As you grow older you will discover that you have two hands.

ひとつの手は、自分自身を助けるため、 もうひとつの手は他者を助けるために。
One for helping yourself, the other for helping others.

女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、
The beauty of a woman is not in the clothes she wears,

その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。
the figure that she carries, or the way she combs her hair.

女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
The beauty of a woman must be seen from in her eyes,

そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。
because that is the doorway to her heart,

女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
The beauty of a woman is not in a facial mole,

その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
but true beauty in a woman is reflected in her soul.

それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
It is the caring that she lovingly gives, the passion that she shows,

その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。
and the beauty of a woman with passing years only grows!



| yoga ヨーガ | 18:15 | comments(0) | - | pookmark |
和合と生きる道


ある投稿でこんな記事があったのでシェアさせて頂きます。
「合気とは愛である」 ユダヤのカバラが「絶対に負けない法(不安をあおり、双方を争わせるetc)」であるならば、

日本人の「絶対に負けない原理」 それは「愛」である。



ヴェーダ哲学のヴァガワットギータのクリシュナがアルジュナに伝えていた内容や
6年前私がカラリパヤットゥの武術を習っていた時に 師匠グルカルが言っていた事を思い出す 様な 文と出会った。

まさにその通り、
私は 自分の人生経験の中で、10年ぐらい前 全く同じ様な 予想もしなかったある出来事に、この様な精神を持つ事で
自分自身「真実・在る」事に立ち直る事が出来た。


もし
何かの大きな問題の壁を未だ乗り越えられていないなら 悩んでいるなら 是非読んでほしい。

恐れを取り除く為には
エゴそのものに自分に向きあい
気づいた時点で 何時も自分に誠実な行為(行動/言動/意識)を慎み それを日々実行する事が大事ですね。特に嘘、ごまかし、のっとり、盗む行為、嫉妬 怒り 特にこの様なアクション=カルマは 自己に恐れを増やし蓄積します。 その恐れは 自己の中の敵になり いつも自己の敵から脅され また多くの恐れを自分で作り出すのです。
悪循環ですね。

だから 常に 自分に対する行いカルマを誠実に清めなければいけません。

精神性霊性を高めたいと思うなら
基本は何かを追求しましょう!

今ここから

私たちは
今から改め直せるのです。

与えられた使命は成し遂げられるか
という自己観点でも この要素は大変重要だと思います。
究極には成し遂げるまでに来生までに繋がる可能性もあるが 現生までに 必要なミッションがあるとするならば、ベーシックな心構えが大切です。

以下のお言葉

「合気道開祖 植芝盛平」 合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。 世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。 合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。 合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。 私はこの事を武を通じて悟った。 敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。 即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。合気道は無抵抗主義である。 無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。 邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。 では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか? それにはまず、神の心を己の心とする事だ。 それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。 『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。 これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。 だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。 真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。 即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。 勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。 与えられた自己の使命を成し遂げる事である。  



| yoga ヨーガ | 09:20 | comments(0) | - | pookmark |
             
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